2014年10月22日水曜日

第二章: <さっさと走り出せ -1!>: GET IN YOUR FUCKING CAR : Pro Cycling on $10 a Day: From Fat Kid to Euro Pro

 2007年、僕に唯一声をかけてくれたチームは、NYのU25アマチュア・チーム、サコネットだけだった。
(Sakonnet。これはBonnetの韻を踏んでいる。だけど、皆、「チーム・しゃぶりん棒(team suck on it)と呼んでいた。)
チームはVMGの成功を、より少ない予算で真似しようとしていた。だからサラリーはなし、でも、バイクと交通費は支給してくれた。
このチームもVMGと同じようにクッターウンに拠点を持ち、そしてデイビッド・ガッテンプランと契約していた。同じ町に戻れるのは嬉しかったよ。ベイジル・マウツポロスがチーム・マネージャーだった。彼はNY在住だったけど、フロリダ大学に進学していた。だから、トレーニング・キャンプは僕の実家があるゲインズビルのすぐ近くで行われた。

 サコネットはNYにあるソフトウェア企業だった。どうやら、将来発電予定の電力を扱う先物市場があって(同じように、使用済みの電力も売れるらしい。聞いた話だけど)、サコネットはこの取引を行うソフトウェアを開発していて、そしてこの市場で成功していた。
アマチュアのサイクリングチームがこの商品の宣伝になったかって?いやいや、そんなことはない。だけどサコネットの三人の創業者は皆サイクリストだった。そしてそれは、彼らにとって10万ドルの小切手をポンッと切るには十分な理由だった。

 創業者の一人、サーストン・バニスターはトレーニングキャンプを訪れた。彼は顔色の悪い、ちょっと肥満気味で、強い英国訛りと典型的な英国人の歯並び、そして金持ち特有のユーモアを持った男だった。サーストンが補食もなく、一本のボトルを持っただけでスタート地点に現れた時、僕らは彼がちゃんとついて来られるか心配だった。でも、彼は100マイル(160キロ)以上の距離を文句も言わず走りきった。その夜、僕らは彼がロジャー・バニスターの息子だと知った。ロジャーは史上初めて1マイル4分の壁を切ったランナーだ。血は水よりも濃いって奴だ。
 
 アマチュア・レーサーは、ほとんど地元でだけ走る。だから、僕は東海岸出身の新しいチームメイト達をまったく知らなかった。何人かのハリウッド・セレブ風のゴージャスな名前以外はね。クリス・カール、ジョニー・ハインズ、そしてガイ・イースト。ほとんどのチームメイト達は、ジュニアでの5年間を順風満帆に過ごしていなかった。彼らは少なからず故障をかかえたり、燃え尽きちゃっていたり、それでも、以前のチームメイトよりは多くのタイトルを獲っていた。僕らはある意味「選りすぐり」と言えた。それでもなお、まだこのチームには「がんばれベアーズ(Bad News Bears)」臭が残っていた。サコネットは子供達に良い環境を提供する為のU23育成チームとしてスタートした。その後、子供達のある者はプロになり、ある元は引退してカタギの仕事につくのだ。人生の岐路だね。それは正しい自然の摂理だったのだけど、何人かは道を決めかねてずるずるとチームに居残ったので、チームは高齢化が進み、U23育成チームからU25育成チームになった。ベイジルは慈悲深い男さ。このことは、何人かのチームメイトに、「成績やトレーニングって、このチームじゃさほど大切じゃないんだ」という印象を抱かせた。もしもスポンサー資金が尽きることがなかったのなら、サコネットは今ごろ同じ構成(ロスター)のままでマスターズチームになっていただろう。




(続く)



Phil Gaimon