時に元禄十六年。
戦乱の世は遙か昔となり、武士の剣術は甲冑着用が前提の介者剣術から、偶発的な個人戦を前提とする素肌剣術へと変化していた。
しかし、尾張徳川家指南役 柳生利厳の助言により、再び乱世となる時に備え、武士本来の介者剣術を守り、後世に伝える為の介者剣術査問機関を設立する事となった。武家諸法度の枠外の特権的組織、京都所司代直轄の剣術査問機関、《有志愛》(ゆうしあい)の設立である。
同時期、江戸には約700もの剣術流派が存在しており飽和状態であった。しかし既存の素肌剣術に不満を持つもの、また既存の流派からあぶれた食い詰め浪人達が次々と新たな介者剣術流派を設立していった。
この時代に設立された主な介者剣術流派。
丁古府流(てぃんこふりゅう)
菱形流(ひしがたりゅう)
会洲太菜流(あすたなりゅう)
《有志愛》は年に三回の介者剣術会を開催する。春に京都北山で開催される大会は《二郎坂杯》である。夏の《鶴杯》、秋の《武平留太杯》の三大介者剣術会での武功により、剣士の頂点、《剣聖》が決定される。剣聖は武家諸法度の枠外の存在であり、その全ての行為は時の将軍直々に免責されている。
三大介者剣術会での規則は、流派毎の団体戦であり、特定の拠点に接地された葵の御旗を申の下刻(16時)まで確保した剣士に勝者の称号が与えられる。
主な介者剣士
雷打 兵修朗(らいだ へいしゅうろう)
菱形流筆頭剣士。元録十二年の二郎坂杯優勝剣士。
六尺半に及ぶ居丈夫の野武士。菱形流の極意は《残命剣》であり、どのような苛烈な戦場でも生き残り、翌日に命を繋げる事を第一の目的としている。兵修朗の刀は三尺三寸の《龍殺し》と呼ばれる長剣であり、厚みも三重に打ち重ねた大鉈並のものである。これは連斬でも刃こぼれせず、また繰り出される長槍を払う盾の役割を担う為である。従来の素肌戦術武闘では邪道とされた大剣である。その容貌と重さ故に兵修朗以外に扱える剣士はいない。
有帯 紺太(あるべると こんた)
丁古府流筆頭剣士であり、剣聖の称号を持つ剣豪。小柄な南蛮系の容姿の剣士であり、その出生を知るものはいない。江戸の読売界隈では「シャム(現在のタイ王国)の王子」と噂されている。
長刀を使わず、わずか2尺の脇差しの二刀流である。脇差しには鍔(刀止め)もつけていない。これは高速で相手の懐に踏み込み、反撃の機会を与えず二刀の居合いで瞬殺する為である。今まで二太刀を必要とした相手はおらず、その為、介者剣術であっても鎧は着用せず、薄い帷子のみを纏っている。防御を考慮しないその剣術姿勢から「駆逐の剣聖」と呼ばれる。
剣聖技《鹿鳴斬》の使い手。
元録十六年 京都北山 二郎坂。
「囲め!囲め!」
会洲太菜流(あすたなりゅう)の剣士達は孤立した紺太の周りを二重に囲んだ。
「残念だったな、紺太殿。配下を囮にして一騎で御旗まで駆けようとした試みはさすが剣聖。しかし多勢には立ち渡れまい。剣聖の玉体に手荒な真似はしたくない。素直に投降なされよ。」
「其れがし、至って臆病故、殺生はなるべくしたくありません。」
紺太はまるで愛宕山を芸子と散策しているかのような穏やかな笑顔で答えた。
「出来ればこのまま貴殿に投降し、後は月見酒と洒落込みたいのはやまやまなのですが...」
その時、一陣の黒い風が舞い込み、会洲太菜流(あすたなりゅう)の剣士達をなぎ倒した。
「あいにく、この御仁が隠居をさせてくれないようです。」
紺太は微笑みながら割って入った黒い影に目をやった。
「貴様は!菱形の兵修朗!」
「貴様、紺太の犬に成り下がったか!恥を知れ!」
紺太と背中合わせに構えた兵修朗は、大刀「龍殺し」を抜いて見栄を切った。
「野良犬の刃の錆になりたくなくば、この場から引き下がるがよい。」
紺太と兵修朗が同時に抜刀すると、会洲太菜流の剣士達の刀が砕け散った。
「えぇい!一時引け!亜留!隘路から御旗へ急げ!」
会洲太菜流の剣士達は筆頭剣士を送り出し、四散していった。
「紺太先生!」
「御怪我は?」
遅れていた丁古府流(てぃんこふりゅう)の残存剣士達が駆けつけてきた。
「兵修朗殿!紺太先生への助太刀、感謝いたしまする!」
「助太刀だぁ?」
兵修朗は不機嫌そうに咥えていた楊枝を吐き捨てた。
「菱形の流儀は泥臭い現実主義でな。メリケンの言葉で言えばぷらくてぃかーるって奴よ。楽に生き延びる為にはまず一番強い奴と組む。それで邪魔者を掃除した後、王である紺太の首級をあげるって算段なだけだ。」
「さすが!兵修朗さんはそうでなくっちゃ!」
紺太は朗らかに笑った。
「でも現実主義者の兵修朗さんはこの場をどうします? 私の手のものが駆けつけて、彼我戦力差は三対一ですよ?」
「兵修朗先生ーーーーーーーーー!遅参して申し訳ありませぬぅ〜!」
峠から息せき切って小柄な剣士が駆けてきた。
「いや、蛇尾出(だびで)、悪くない頃合いだ。芝居小屋狂いのお前らしいぞ。」
兵修朗は不適に笑って紺太の方へ振り返った。
「さて、これで彼我戦力差は二対三だな。如何に鹿鳴の輪聖と呼ばれるお前といえども、ちったぁ手こずるだろう?」
「ふふふ...、ほんに兵修朗さんは面白いお方だ。ご自分の剣技によほど自信がおありなのか、それとも..」
紺太の笑みは薄く拡がり、ゆっくりと消えていった。
「剣聖であるこの私を愚弄してらっしゃるのか....」
紺太は灌木の表面に咲いた躑躅(ツツジ)をゆっくりと摘み、兵修朗の方へ投げた。躑躅の深紅の花びらはハラハラと乱れながら兵修朗と紺太の間に舞い散りゆく。
「破ッ!!」
刹那、紺太は居合いの態勢から一瞬で兵重郎との間合いを詰める。
「剣聖技《鹿鳴斬》!!!」
居合い一太刀で五太刀の打ち込みを行う剣聖技。脇差し二刀流の紺太のみが会得している。
神速で間合いを詰める姿勢が谷を駆け登る鹿のようでもあり、また斬られた剣士の断末魔の悲鳴が鹿の鳴き声のようでもある事から命名された。
「ぐぁっ!!!」
兵修朗の鎧は砕け、全身か鮮血が噴き出す。
「決まった!」
「しぶとい兵修朗め!紺太先生の一太刀でまだ立っているとは!」
「先生、トドメを!」
「これはこれは....」
紺太は涼しげな表情で兵修朗の様子を観察した。
「どうやら我が丁古府流の精鋭の中で、兵修朗さんの試みに気づいているのは私だけのようですね....」
「...紺太先生?」
その刹那、紺太の羽織止めがハラリと地面に落ち、同時に帷子に亀裂が入り、地面に落ちた。
「先生!それは!」
「《鹿鳴斬》を受ける寸前、兵修朗さんは私の切っ先を払おうと抜刀して失敗し五太刀を受けた。しかしそれは失敗したのではなかった...」
「彼の長剣《龍殺し》は、まるで削り節のように、私の帷子を正確に削ったのだ。」
「そんな!偶然ではありませんか先生?わざわざ先生の《鹿鳴斬》を受けるなんて!」
丁古府流の剣士は信じられぬという面持ちで紺太に尋ねた。
「《死中に活あり》ですか?兵修朗さん。おそらく一太刀目で重傷を追い、帷子の切れ目に私が気づかぬままトドメをさそうと踏み込んだ刹那に匕首(あいくち)で心の臓を正確に貫く。まこと、喰えない恐ろしい御仁だ。」
兵修朗は鮮血にまみれた顔を壮絶にゆがめて笑った。
「其所元(そこもと)はまったく可愛げのない奴だな。剣が立つ上に頭の回転も速い。芸子に嫌われるタイプって奴だ。」
「そういう言い方、嫌いじゃないですよ、兵修朗さん。」
紺太は楽しくて仕方ないように破顔した。
「旗本崩れの酔いどれ、鏡先生を思い出しますな!」
紺太はゆっくりと草履と足袋を脱いで素足になった。
「《鹿鳴斬》を耐え抜いたのはあなたが初めてだ。素晴らしい!こんな気持ちは久しぶりだ!もっと楽しませて頂きたいが、残念ながら次の一太刀で幕引きにいたしましょう。」
兵修朗も草履を脱いで正眼に構える。
「其所元(そこもと)に教えてやろう、紺太。」
「其所元(そこもと)の太刀が業物なら、拙者の太刀は錆びた大鉈。普通に考えれば勝負は見えているだろう。」
「だが、菱形流の極意は活人剣。お前を一撃で倒せぬならば、十、二十と重ねて切り込むまで。切っ先が届かぬならば、おぬしの骨ごと砕くまでの事。」
「天才の其所元(そこもと)の道理は、菱形の無理でこじ開けてみせようぞ!」
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※ジロ・デ・イタリア第18ステージ。時代劇レポート。