Le Métier
こいつは、俺がアマチュアとしてフランスでレースを始めた最初の年に何回も聞かされた言葉だ。フランス語はからっきしだったから、とりあえずチームでよく聞く単語を片っ端から覚える事にした。putain(娼婦)、tant pis(まぁ、いいんだけど)、chaudière(ボイラー)なんていった頻出単語と一緒にLe Métierがあったんだ。Le Métierが他の単語と違うのは、こいつはダイレクトに英語に訳せない事だ。辞書でもさっぱりなんで、最初の年どころかその後数年経っても、俺はLe Métierという単語が何を意味するのか本当のところさっぱりだった。後になって、Le Métierの本当の意味が分かった時、俺はその言葉が大嫌いになった。
当時のフランス自転車界の時代遅れでかび臭い世界の中では、全てにきちっとした科学的裏付けがある近代的トレーニングは、俺とは無縁の世界だった。Le Métierはそんな時代遅れのフランスに残った迷信、前世紀の遺物だった。つまりは、”サイクリング世界の偉人達(訳注;コッピ、バルタリの世界から、アンティクル、メルクス)はこうやってレースをしていた。だからお前達も、偉大な先輩達ときっちり同じようにしなきゃいけない”って事。"選手にはエアコンはよくない"って言われたって、俺がガキの時育った香港じゃそいつがなけりゃ過ごせなかった。"寒い時にはネックウォーマーを首に巻け"って?、ガキの時のお袋の小言じゃねぇての。"レッグ・ウォーマーをしてはいけない"だって?いいつけを守った結果が、今のオレのざまだぜ。たいした効果はねぇ。こういったくだらねぇ、かび臭ぇ迷信、そんな古くさいプロ・サイクリングの世界が俺は大っ嫌いだった。
10年が経ち、いくつかのフランスチームと、他の国のチームを渡り歩いて、俺は少しづつ、大嫌いだったかび臭い迷信達が持つ本当の意味が分かりだしてきた。そしてその言葉に感謝するようになった。
Le Métierが持つ本当の意味は、犠牲を払う事(sacrifice)、智恵を絞る事(savoir-fair)、そして情熱を持つ事(passion)。これが、この競技がライダー達から人生の全てを奪い、プロ・サイクリングを他のスポーツと決定的に違うものにしている呪文だ。そして驚く事に、科学的トレーニング万能の時代になり、いろんな科学技術が取り入れられ、そして流行のメソッドをプロサイクリングの世界が取り入れてきた現代において、Le Métierという言葉が持つ価値観はなんら変わらず、それどころか、その本当の価値は輝きを増している。
Le Métier。そいつは伝統、経験、プロ・サイクリングの歴史が蓄えた英知だ。
若かった時、俺はレースが大好きだった。俺がバイクに乗る理由はたった2つだけ。トレーニングか?レースか? 年を取って、もうちょっとマシなプロのレーサーになった時、俺はもっと深く深くバイクと恋に落ちた。俺はずっとプロサイクリストだが、乗る理由はもう鍛錬や勝つ事じゃない。今の俺がバイクに乗るのはもっと大切な理由、愛からだし、バイクは未来永劫、俺の情熱だ。
サイクリストにとって1年で最悪のシーズンである冬は、今では俺の一番のお気に入りだ。ツールの間、マイケルと俺は12月のトレーニングライドが待ちきれねぇって盛り上がっていた。朝に俺達は待ち合わせて純粋楽しみの為だけにバイクで出かけるのさ。俺達の幸運の女神に感謝しながらな。今じゃ俺達は老いぼれプロだ。まぁ、良く言えばベテランって事で、俺達は数限りないレースをくぐり抜けてきた。もうキャリアの終わりが見えてきた今でさえ、これまで以上に走りたいと思っている。いろんな経験を積み、ふりかえり、そして成長した事で、俺達はやっとこの言葉に納得し、感謝出来るようになった。引退したらLe Métierという言葉を懐かしく振り返るだろう。
大っ嫌いだったこの言葉も、今では俺達の宝物だ。
デイビッド・ミラー