2014年11月24日月曜日

[翻訳] Le Métier - プロサイクリストの1年 :デイビッド・ミラーによる序章

Le Métier


こいつは、俺がアマチュアとしてフランスでレースを始めた最初の年に何回も聞かされた言葉だ。フランス語はからっきしだったから、とりあえずチームでよく聞く単語を片っ端から覚える事にした。putain(娼婦)、tant pis(まぁ、いいんだけど)、chaudière(ボイラー)なんていった頻出単語と一緒にLe Métierがあったんだ。Le Métierが他の単語と違うのは、こいつはダイレクトに英語に訳せない事だ。辞書でもさっぱりなんで、最初の年どころかその後数年経っても、俺はLe Métierという単語が何を意味するのか本当のところさっぱりだった。後になって、Le Métierの本当の意味が分かった時、俺はその言葉が大嫌いになった。

 当時のフランス自転車界の時代遅れでかび臭い世界の中では、全てにきちっとした科学的裏付けがある近代的トレーニングは、俺とは無縁の世界だった。Le Métierはそんな時代遅れのフランスに残った迷信、前世紀の遺物だった。つまりは、”サイクリング世界の偉人達(訳注;コッピ、バルタリの世界から、アンティクル、メルクス)はこうやってレースをしていた。だからお前達も、偉大な先輩達ときっちり同じようにしなきゃいけない”って事。"選手にはエアコンはよくない"って言われたって、俺がガキの時育った香港じゃそいつがなけりゃ過ごせなかった。"寒い時にはネックウォーマーを首に巻け"って?、ガキの時のお袋の小言じゃねぇての。"レッグ・ウォーマーをしてはいけない"だって?いいつけを守った結果が、今のオレのざまだぜ。たいした効果はねぇ。こういったくだらねぇ、かび臭ぇ迷信、そんな古くさいプロ・サイクリングの世界が俺は大っ嫌いだった。
 
 10年が経ち、いくつかのフランスチームと、他の国のチームを渡り歩いて、俺は少しづつ、大嫌いだったかび臭い迷信達が持つ本当の意味が分かりだしてきた。そしてその言葉に感謝するようになった。
 Le Métierが持つ本当の意味は、犠牲を払う事(sacrifice)、智恵を絞る事(savoir-fair)、そして情熱を持つ事(passion)。これが、この競技がライダー達から人生の全てを奪い、プロ・サイクリングを他のスポーツと決定的に違うものにしている呪文だ。そして驚く事に、科学的トレーニング万能の時代になり、いろんな科学技術が取り入れられ、そして流行のメソッドをプロサイクリングの世界が取り入れてきた現代において、Le Métierという言葉が持つ価値観はなんら変わらず、それどころか、その本当の価値は輝きを増している。

 Le Métier。そいつは伝統、経験、プロ・サイクリングの歴史が蓄えた英知だ。
 
 若かった時、俺はレースが大好きだった。俺がバイクに乗る理由はたった2つだけ。トレーニングか?レースか? 年を取って、もうちょっとマシなプロのレーサーになった時、俺はもっと深く深くバイクと恋に落ちた。俺はずっとプロサイクリストだが、乗る理由はもう鍛錬や勝つ事じゃない。今の俺がバイクに乗るのはもっと大切な理由、愛からだし、バイクは未来永劫、俺の情熱だ。
 
 サイクリストにとって1年で最悪のシーズンである冬は、今では俺の一番のお気に入りだ。ツールの間、マイケルと俺は12月のトレーニングライドが待ちきれねぇって盛り上がっていた。朝に俺達は待ち合わせて純粋楽しみの為だけにバイクで出かけるのさ。俺達の幸運の女神に感謝しながらな。今じゃ俺達は老いぼれプロだ。まぁ、良く言えばベテランって事で、俺達は数限りないレースをくぐり抜けてきた。もうキャリアの終わりが見えてきた今でさえ、これまで以上に走りたいと思っている。いろんな経験を積み、ふりかえり、そして成長した事で、俺達はやっとこの言葉に納得し、感謝出来るようになった。引退したらLe Métierという言葉を懐かしく振り返るだろう。
 
 大っ嫌いだったこの言葉も、今では俺達の宝物だ。
 
 
デイビッド・ミラー

2014年11月23日日曜日

[翻訳] Le Métier - プロサイクリストの1年 :クリスチャン・ヴァンデ・ヴェルデによる序文


Le Métier the seasons of a professional cyclist 
マイケル・バリー、カミール・J ・マクミラン著

Métier:(仏)(名詞) 
職業、専門職 

訳者まえがき


友人から紹介されたこの本は、プロ・サイクリストの目で見た1年の記録が描かれている。
華やかな戦績の記録ではなく、プロ・サイクリストのありふれた日常(Standad Daytimes)を生き生きと写真と文章で綴ったこの本に、たちまち魅了されてしまった。

評論的な事を書くよりも、元ガーミン・シャープのクリスチャン・ヴァンデ・ヴェルデが書いたこの美しい序文が、この書籍の素晴らしい紹介になっているので拙訳ではあるが紹介したい。

プロ・ロードレースのファンだけではなく、全てのサイクリストにも響く彼の言葉は、率直で飾り気がない。

Métierのラテン語の語源は「召使いとしての職務」である。
意図されたものかどうかは分からないが、本書の内容の暗喩にもなっている。




FOREWORD(序文)


 その峠を登る僕らに、容赦ない横殴りの雪が吹き荒れていた。
いつもは山を登るサイクリストの遅さにイライラとクラクションを鳴らしてくるドライバーも、この悪天候に無謀な挑戦をする僕達に短いクラクションでエールを送ってくる。
「今日この道に来たのは、俺達が初めてらしいな。」
コロラドの稜線を走る新雪に覆われた標高900フィート(約2700メートル)のグラベルを走りながら、マイケルが僕に言った。
この場所には僕らが登ってきた道以外には迂回路がない。いくつか見える小さな轍は、恐らく鹿の痕跡だろう。
「そうだな!バリー。この天候でここまで登ってくるような馬鹿は僕達以外にはいないだろうさ」
僕は凍える息を吐きながら答えた。もちろん、僕はこの馬鹿馬鹿しい旅の全ての瞬間を心の底から楽しんでいた。僕達は山から帰る前にカフェで暖をとり、そして大急ぎで家まで帰った。
10年経った今でも、この記憶は僕の脳裏に焼き付いている

 マイケルは僕がこれまで考えもつかなかったようなトレーニンライドを教えてくれた。
マイケルは僕だけではなく、僕の友達にも(必ず二人きりでだったが)実地で意見をくれて、僕達を1つ上のレベルに押し上げてくれた。
僕はこれからも、雪まみれになってかじかむ指を感じながら、いろんな山に登る事だろう。でも僕はどんな時でも楽しめる。マイケルは僕に教えてくれたからね。
「限界とは単なる思い込み」だって。

 僕達はその日、文字通りまだ誰も踏みしめた事のない道を、肩を並べて一日中走った。その時サドルの上で、僕らはこれまで以上に深く理解しあう事が出来た。トレーニングだったり、レースだったり、僕達は様々な経験を経て、お互いに成長してきた。
 
 馬鹿みたいにキツかった2005年ジロのあるステージで、その日の仕事を終えていた僕達は、いつのまにかプロトンから遅れていた。他のライダーが一人も見えないドロミテの登りの途中でたった二人きりだ。レース開始から4時間で、僕らの前にはまだ60キロの行程と、2つの山が待ち構えていた。ヤバい状態にもかかわらず、僕は二人で以前肩を並べて雪の中を走っていた時の事を思い出し、突然笑いがこみあげてきた。そしてそのまま二人で先頭交代をしながらプロトンの追走を開始した。その時のジロの出走選手は200人近く、だけど、その時のドロミテは完全に僕とマイケルだけだった。メイン集団ははるか前、そして遅れた選手のグルペットははるか後ろだ。マイケルは僕になんで笑っているんだ?と聞いた。
 「完全に僕達二人っきりだな!もしお前が、ここがコロラドの例の雪の稜線道だって言うなら、僕はころっと信じてしまうだろうな!」
 「僕達はもう8時間近く走ってる!このステージが終わったらきっとボロボロだよ!でも...」
 「でも、きっと満足しているんだろうな」
この日の出来事は、今でも色あせない思い出だ。

 この本は、僕の子供時代からの、素晴らしく、ありふれた、そしてぞっとする記憶を蘇らせてくれる。バイクに乗っていた時、そしてバイクに乗っていない時の思い出。 
ペダルの一漕ぎに消えていった思い出したくない、あるいは忘れたくない匂い、音、そして感情の渦を。マイケルとカミールは、ここで語られるサイクリストの<ありふれた日常>を撮影し、サイクリストの人生を綴った。彼らはプロ・サイクリングの世界のきらびやかなベールを剥がし、その下に隠されたリアルな現実を白日の下にさらしている。美しく、あるいは醜い現実を。

 敗北と栄光、そして躊躇を繰り返し、僕らは走り続ける。辛い時には、この世界から逃げたいと思った事もあった。あきらめの悪さと我慢強さにより、幸か不幸か僕はまだこの世界にいる。もがきが、よりそれぞれの瞬間を豊かなものにしているように思える。本書 Le Métierは、かつて僕が味わった苦い思い出を僕の脳裏に蘇えさせる。いつか僕の子供達にこの物語を読み聞かせたい。あの子達にも分かるだろう。はるか昔、まだお腹が出る前のパパが何をしていたのかって。

 このスポーツは僕の心に蒼いナイーブさを残し、僕の逃れたいという願いを何回もつなぎ止め、そして皮肉な事に、僕の肉体的老化を加速させているようだ。自転車は僕に責任を、人生観を、謙虚さを植え付けて、僕を急速に大人にさせたけれども、僕の心はどこかまだ23歳の若者の時のまま取り残されている。
 
 この本を楽しんで読んで欲しい。君達はこの本を通して理解するだろう。
なぜプロ・サイクリストになろうとする人が少ないのか。そして、なぜ、僕達プロ・サイクリストがこの仕事に誇りを持っているのかを。


クリスチャン・ヴァンデ・ヴェルデ

2014年11月20日木曜日

[翻訳] 愛から憎しみへ -ラクラン・モートンの場合 (cycling central)

成功したアスリートの定義とはなんだろう?

これは先週のCycling Central Podcastでも、いわばホットな議論として取り上げた話題だ。

多くの勝利を手にする事だろうか?



もちろんそんな事はない。
レースの勝者はたった一人だけだし、1シーズンには勝利出来ないレースなぞ山のようにある事を考えれば当然だ。
加えてプロフェッショナル・サイクリストの世界では、エースになれる確率(つまり、より勝利に近づける確率)は、わずか5%以下であり、多くの選手はアシストや、良くてセカンドエース(スーパーサブ)の役割に甘んじなければならない。
この点は我々の世界とプロの世界は変わりがなく、プロサイクリングの世界は現実世界の箱庭と言える。

また同時にプロ・アスリートの世界では、特にリーダーやスーパーサブの役割を担う選手は、相応の成績を期待されて契約金が支払われる。勝利はスポンサーへのアピールであり、翌年のワールドツアーへの入り口であり、契約の延長の鍵といった未来への原動力なのだ。

現代のプロ・サイクリスト、特にワールドツアーレベルのサイクリストは身に染みて感じている。彼らの仕事は彼らの人生そのものであり、また逆もしかり(vice versa)なのだ。もしも彼らがトレーニングや戦術、心理面、リカバリーで十分な用意なしにレースに挑んだ時、彼らは途端に貴重な戦力からお荷物に変わってしまう。チームにとってもそうだし、彼ら自身にとってもだ。


ラクラン・モートンのガーミン・シャープでのキャリアは、彼のような早熟の才能を持つ若い選手でさえ、簡単にキャリアのレールから外れてしまうという興味深い事例である。
彼の身体は第一線で走る事を欲した。だが、彼の心はそれについていけなかった。

「僕はこの決断を後退とは思わない」ラクランは、彼の兄ガスと一緒になるジェリーベリーとの2015年度の契約をこう語る。


「多くの人はそう思うだろうね。でも、僕はこう思うんだ。この決断はただの<自転車乗り>としての僕の大きな一歩になる。身体が純粋にそれを求めているんだ。レース・シーンに戻り、そしてただ「勝つ」為にレースする。仕事を片付ける為にフィニッシュラインを通るんじゃない。純粋に身体を躍動させて勝ちたいんだよ」

おそらく、ラクランは彼が我々に語ってくれた以上に、自分にそう言い聞かせているのだろう。


心情的には彼の言う通り、これは前向きの決断だと思う。しかし現実的には、ワールドツアーチームから、米国籍のコンチネンタルチームへの移籍は、2歩後退と言わざるをえない。

確かに、ワールドツアーの厳しさと慢性的なプレッシャーは凄まじいものだ。しかし同様に、たとえワールドツアーがそういう世界であっても、あなたがプロ・サイクリストになりたいと望み、ワールドツアーレベルの才能を持っていたら、やはりこの生態系に逆らうのではなく、適合していかなければならない。

そう、彼はプロツアーの大釜のようなプレッシャーをもう受けないだろう。そう、彼はプロツアーのように酷いスケジュールでレースを走る事はもうないだろう。そう、彼はそこで多くの勝利を手にするだろう。そしてイェス、彼はおそらく、新しい世界を楽しむ事だろう。

だけど、ラクランはまだプロ・サイクリストであるという呪縛から決して逃れる事は出来ない。ガーミン・シャープでのキャリアと同じように、彼は成績の為に稼ぎ、力を求められ、そして翌年のシーズン終了後、その次、あるいはその次のシーズンに彼は自分を最も悩ませているものの正体に気付くかもしれない。輝かしい才能にもかかわらず、ラクランはその事実にまだ気がついていない。

2006年、テニス界の王者アンドレ・アガシは、彼の21年のキャリアを締めくくる最後のトーナメントであるUSオープンの前日、ニューヨークのホテルで目覚めた時に、とてもショッキングな事実に気がついた。

「僕はテニスで生計を立てている。しかし、僕は同時にテニスを憎んでいる。深くほの暗いこの憎しみは、常に僕とテニスの間にあった。」

ここで1つの疑問が沸く:何故彼はそれほど長い間、トップレベルでプレイし続けられたのだろう?

「テニスは彼にとって職業以上のものになったのです。テニスはある意味、彼の人生を乗っ取ったのです」
英国の元プロ・テニスプレイヤーであるバリー・コーウェンはガーディアン紙に語る。

「あなたがトップレベルのテニスプレイヤーなら、年間30週以上はツアーに出ているでしょう。加えてトップを維持するという事は、その間の人生の全てをテニスに捧げるという事になるのです。あなたが下す全ての決定は、全てテニスに無意識に繋がっているでしょう。多くのテニスプレイヤーが20代で燃え尽き症候群に陥るのはこういった理由なのです。」

我々がアガシやモートンの気持ちを理解するのが難しい。我々がするスポーツは一瞬の気まぐれ、退屈な日常からの逃避でしかないのだから。でもテニスやサイクリングが一瞬ではなく、毎日、永遠に、あなたの人生を掩うとしたら?

「私にもこういった経験があります。6歳ぐらいからつきまとう感覚ですよ。」コーウェンは語る。「”もしこの競技に100%人生を捧げられなくなったら途端に置いて行かれる”- 一般人はそのような恐怖には耐えられません。多くのアスリートが競技を憎むのも当然ですよ。その気持ちを正直に話すアスリートはほんのわずかですがね」

ビクトリア・ペンドルトンもまた、自分の競技を憎むようになった一人だ。競技、そして彼女自身、そして彼女の業績に対しての憎しみ。
勝利の瞬間だけ、少し解放されたような気持ちになったそうだ。

「あの時、私のメンタルはボロボロだったの」
と、彼女は北京オリンピックのマッチ・スプリント(訳注:トラック競技の一種)で、長年のライバルであったアナ・メアレスを2-0で破った時の経験を振り替える。

「私はチームで一人きり取り残されるんじゃないかって不安だったわ。だから勝った時だけは安心出来た。というか、拍子抜けって感じかしらね。ポディウムの上でもなんの実感もないのよ。でも、ポディウムから一歩降りた時、急に不安に襲われたの。「なんてこと!私はいったいこれから何をしたらいいの?」って。私はこの感情を抑えきれなかった。まるで、もう人生に夢がなくなってしまったような感じだったの。」

彼女はどうしたかって?

「私はすぐに私に出来る事に集中したわ。私に出来る唯一の事。もう1つの金メダルを取る事にね。<私にはそれが必要なのよ>」

母国のロンドンオリンピックで彼女がケイリン・チャンピョンに輝いた時、彼女が喜んでキャリアにピリオドを打ったのも当然だろう。(彼女はメアレスに次ぐ銀メダルをマッチ・スプリントでも獲得したが、1周目の進路妨害が問題視され剥奪された)

ガーディアン紙はこう結ぶ。

「スポーツでの心理的、肉体的、そしてトップ・プレイヤーで有り続ける事の苦痛はもちろんとても大きい。しかし、彼らにとって、この競技にはもういられないと気付く事は、それ以上の恐怖だ。もしかすると、多くのサイクリストはアガシと違い、彼らが人生として選んだこのスポーツを憎んでいるのではなく、愛するが故に盲目になっているのかもしれない。」

あなたがTherebouts(モートン兄弟のサイクリングドキュメンタリー映画)を見た事があるのなら、ラクラン・モートンの自転車への愛を理解出来ただろう。
では、あなたに尋ねよう。
彼の自転車への愛は盲目過ぎたのだろうか?

自転車が我々を迷わすサイレンの歌声でない事を願おう。







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2014年11月17日月曜日

[翻訳] フォイクトからの手紙 (Rouleur Mag)

親愛なるイェンス

最初のプロ契約おめでとう。僕の今の思いと経験を君に伝えたいと思う。
もしかしたら僕は少しばかり君のお役に立てるかもしれない、でもこれからプロの世界に踏み出していく君をあまり不安にさせたくはない。今の君がトレーニングやフランス語の勉強、そしてレースに忙しいのはよく分かっているからね。

僕の最初の、そして一番大切なアドバイスはね、《もっと自分に自信を持て!》って事さ。君は自分で思っているよりずっと才能あるライダーだ。今はまだそれに気付いてはいないけどね。力任せに序盤からアタックしない事。もっと格上のライダーとの逃げに乗る為にその力を温存しておこう。君なら彼らについていけるよ。

君のモットーを大切にする事。サイクリングの世界の基本原則さ。《最も苦しんだ奴が最も大きな成功を掴む》

プロの世界は凪の楽しい船旅じゃない。君は心身共に苦しい時期をいくつか経験する。その苦しい時期に、自分を汚すような事をしてはダメだよ。

君には大切な家族がいる事を思い出すんだ。そして家族と仕事の公平なバランスを保つ事。人生にはサイクリングなんかより大切な事がたくさんある。

自分への投資を忘れずに。スペイン語も習っておいた方がいい。語学力はいつの時代でも君の助けになるよ。

最新技術のチェックも忘れずに。それはまったく新しい素晴らしい世界だ。
全てのファンに平等に接し、彼らに敬意を払いたまえ。ファンがこの世界を素晴らしいものにしてくれているんだから。
他の全てのライダー達に敬意を払うんだ。このスポーツでは、皆が献身的に働き、この世界で生計を立てたいとただ願っているのだから。

もしかすると、君はジオ・キャッシング(全地球規模の位置情報宝探しゲーム)を発明するかもね。こいつは楽しい遊びだ。それから釣りに行ったなら、うーん、とにかくなんでもいいから釣り上げるんだぞ!

でもさ、ヤング・イェンス。君は君のままで馬鹿正直でいればいいんだ。君は大丈夫だ。なぜなら僕は年をとった君だからね!

君のともだち。年寄りイェンスより。




Dear Jens,

Now that you’ve signed your first pro contract, let me share some of my thoughts and some of my experiences with you. Maybe I can help you a little bit. I won’t get too much on your nerves, I know you are busy with training, learning French vocabulary and racing.

My first and most important advice – have more confidence! You are much better than you think, you just don’t know it yet. Don’t always go with the early attacks, save it for the big attack with the bigger riders, you can go with them.

Keep your work ethic: in cycling it’s pretty clear – the one who trains most has most success.

It will not be a pleasure cruise, you will go through some mentally and physically straining times – don’t let yourself get pulled down by bad periods.

Remember you have a family, balance it fair, don’t get too much of a tunnel vision, there is more in life than only cycling.

Maybe don’t be lazy and learn the Spanish language, it’s always good to speak different languages.

Keep up with modern technology – it’s a whole new interesting world. Really important: treat all the fans fair and with respect, it’s them who make our sport great. Respect all the other riders, because in this sport every rider works hard and just wants to make a living.

If you can, you might invent Geocaching, or start earlier with Geocaching, it’s a fun hobby. And when you go fishing – damn, just catch something!

But hey, my young Jens, stay simply as you are. You will be fine, I know it because I am the older you!

Your friend, the older Jens!



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