2015年10月23日金曜日

[翻訳]デイビッド・ミラーの肖像 (Rouler ISSUE 57) part 1/3

15.10.15
Portrait: David Millar
FROM: ISSUE 57
WORDS
Ian Cleverly PHOTOGRAPHS
Offside/L'Equipe

In conversation with David Millar on his new book The Racer, centred around his final season of an 18-year professional career – a celebration of life on the road 
デイビッド・ミラーの18年に渡るキャリアの最終のシーズンを描いた著書「ザ・レーサー」に関するインタビューより。




Eighteen years as a professional cyclist. Did you envisage that when you started?
プロ・サイクリストとしての18年のキャリアだったね。君がプロとして走り始めた時、これほど長く続けられると思っていた?

No, because when I started, riders were retiring at 32 or 33. As my career went on, it became more of an accepted thing to keep going. Plus, having the two-year ban refreshed me, I think. It was like a renaissance.
そんな事はない。オレが駆け出しの頃、選手は32か3で引退するのが常識だった。オレが選手を続ける間にその常識は曖昧になり、もっと年をとった選手も走る事が出来るようになった。まぁ、ルネッサンスみたいなもんが自転車の世界で興ったのさ。

There are only so many years you can ride at that level, I guess.
トップレベルを維持出来る時間ってそんなに長くないと思うけど。

Exactly. That’s what it is. You have a sort of credit and you use it up. Very few people go beyond 18 years, that’s for sure.
ご明察。だから「ルネッサンス」なんだよ。この世界の中でオレ達は預金みたいなものを持っている。そいつを使い切ったら終わりなのさ。18年以上続けられる奴なんてほとんどいない。賭けてもいい。

Is it the body or the head that gives up first?
走っている時、心と身体はどっちが先に悲鳴をあげるの?

Oh, the head for sure. You can’t suffer as much; you can’t hurt yourself. You get to a point where you have lost that chip off your shoulder and that deep down need to fuck yourself up. I think it happens to all of us eventually. Thankfully.
あぁ、もちろん心さ。身体の痛みには耐えられても心を麻痺させる事は出来ない。肩を脱臼してもなお走る所までは選手なら誰でも経験があるんだ。そこからどれだけ自分自身をファック出来るかが勝負の分かれ目だな。全ての選手はキャリアの中で必ずこういう経験がある。まったくありがたい商売だぜ。

Does self-preservation come into it too – fear of crashing – once you become a parent and have other responsibilities?
自分の身をかばいたくなった時はない?レース中のクラッシュが恐ろしくなった事は?例えば子供が出来て親になって、自分の身一つじゃなくなった時に。

A little bit. But it’s the training that becomes hard. I lost my edge with my racing last year, but it was the training that went first. But the sport has got more dangerous as my career has gone on anyway. There’s more crashes than there have ever been. It’s pretty messed up now.
少しはね。でもトレーニングはどんどんハードになっていった。去年、オレはキレを失ってダサい事になっちまっていたが、そんな時にもトレーニングは最優先だった。でも、オレが現役でいる間にこの競技の危険性どんどんは増して、最近では経験がないぐらい大きなクラッシュが多い。今はちょっと余裕ないよな。

There’s a chapter in the book where you describe the notion of “flow”, where riders move freely around the peloton, going about their work. That seems to have been lost.
あるチャプターの中で「フロー(流れ)」という表現を使っているね。選手が自分達の仕事をする為にプロトンの中で自由に動いている、という箇所で。そういう「自由」で「流れるような」ムードは今のレースシーンでは失われてしまっているように見えるね。

Everything is so robotic now. It’s a self-perpetuating cycle: the more crashes there are, the more teams are ordered to be at the front; the more teams at the front, the more stressful it becomes and the more crashes there are – an infinite loop. Before, there was much more flow, two or three riders per team floating around at the front.  
今では何でもロボットのようなもんだ。こいつは悪循環なんだ。-ヤベぇクラッシュが発生する -> チームはそれを避ける為に先頭に陣取るように命令する -> たくさんのチームが先頭にわっさわっさと集まる -> 先頭はギッチギチなんでピリピリで余裕がねぇ、-> そしてクラッシュ発生! 無限ループってわけさ。
以前はもっとフロー(流れ)があった。各チームから2,3人の選手が先頭に出張って、流れるようにプロトンを仕切っていた。今はそのフローがない。


You’re not saying this as an old timer, are you? In that “it was so much better in my day” way?
君は老害的にそう言っている訳じゃないよね?引退したベテランがよく言うように「昔は良かった」的な感じに。

No, I’m not. It has just changed, simple as that. It’s different. Every race is important now. There are not days when you have training races, the season following arcs of condition. Now there are riders in amazing shape from January to October. I’m sure it will find some balance eventually, because the change has been so rapid, but it may take a while.
違う。確かにプロトンのルールは単純に変わっちまったのさ。今では全てのレースが「最重要」だ。昔と違ってトレーニングとして「捨てて」走るレースなんかない。シーズンを通して高いコンディションを維持する必要がある。今ではどいつもこいつも1月から10月までキレッキレに絞ってなきゃいけない。賭けてもいいが、ここまで余裕がねぇと必ずどこかでツケは回ってくるぜ。あまりにも急激にいろんな事が変わっちまったからな。でも、もうちょっと先の話さ。

Plenty of people from my generation like to hark back to a time when riders rode everything going and competed flat-out all season long, but it was different in so many ways.
僕の世代の多くのサイクリングファンは、選手達がコースを問わずどんなレースでも競いあって、シーズンを通して戦った時代を懐かしんでいる。(訳注:イノーやメルクスのように平坦、山岳、クラシック、グランツールと全てに強いチャンピョンのいた時代)でも、いろんな意味で今はそんな時代じゃないよね。

It was easier then. Races weren’t as fast for one thing. They were doing bunch sprints on 52x14 gears in the ’60s. I can time-trial on that now! They weren’t exploiting their full potential back then. Now, in order to win, you have got to tap into everything you have got. That’s just the way the world is now: everything is so finely tuned.
昔はもっと物事が単純だった。選手は一つの分野に特化している必要がなかった。60年代の選手は多くのスプリントを52x14のギアでこなしていた。オレがTTで使うギアだぜ? 当時は勝つ為にピンポイントで力を出し切って爆発させる必要がなかったのさ。今じゃ、勝つ為には持っている全てを瞬間に出し切らないとダメだ。今じゃこの業界はそんな感じなのさ。全てが最適化されすぎて余裕がないんだ。
It’s nice that someone like Brad can do Paris-Roubaix, for instance, but you have got so much more to lose that you have to gain. Doing it in your final year, like Brad did, is the only way.
例えばウィギンスが最後のレースとしてパリ・ルーベを走ったように、勝てる見込みのない負け戦でこそ見つかる何かがあるんだ。それが許されるのは今や自分の引退シーズンのみなのさ。

The Grand Tours have gone over the top in making increasingly harder parcours, don’t you think?
今じゃグランツールを走る事は、最高難度のパルクールに挑むよりはるかに厳しい。そう思わないか?
(訳注:パルクール:市街を走りビルの間をジャンプするスポーツ。日本人の感覚で言えばサスケや風雲たけし城か)

The harder you make it, the worse the racing generally becomes. It just becomes attrition. There is only so much your body can do. If you want proper bike racing, make it short, in a way that our bodies can use tactics, rather than massive amounts of training and genetics. Hopefully, race organisers will start to wake up to that. Some of the best races we see are not on the hardest courses, because riders can use tactics. Otherwise, it might as well be Ironman triathlon… and no one wants that.
選手達ががんばればがんばるほど、この世界はだんだん悪くなっていった。一人の選手が出来る事はもうほとんどない。プロトンは段々ギスギスしてきた。もし正しい方向にレース戻したいなら、手短に言って、選手一人一人が考える事だ。膨大なトレーニングや才能なんかより大切な事だと思う。レースの主催者達がそれに気付いてくれる事を祈るよ。そうじゃなければ、オレ達のやっている事ってロードレースじゃなくてアイアンマンレースやトライアスロンになる。ロードレースのファンは誰もそんなものを見たくないだろう?

No, nobody wants that… Do you see any hope for the maverick racer in the coming years, or has their day passed?
そうだね。誰もそれを望んではいない。昔のように、「輪聖」と呼べるような異端で突出した選手が今後現れる事はあるんだろうか?それともそういう英雄の時代は過ぎ去ったのかな?

I think we have got the ultimate maverick racer in Peter Sagan. It is possible. He should be the archetypal role model. We have got one of the greatest bike racers that ever lived in Peter Sagan. You can see how much fun he is having. That’s a great role model. And that’s a good story: keeps chipping away all year, doesn’t quite do it, but then lands the big one at the end and becomes a fitting world champion. There’s a good moral there.
ピーター・サガンの中には輪聖にあいふさわしい血が流れていると思う。過去の輪聖達のような高みに登る事も可能だろうね。彼は後の世に語り継がれるロールモデルになるべきだ。歴代の輪聖に連なる才能が彼の中にはある。奴はいろいろ面白いだろう?なかなか洒落た筋書きになると思わないか? 毎年確実に成長し、その歩みを止めない。そして最後には、自転車の世界の頂点に君臨する輪聖として、その身に纏ったアルカンシエルの戦衣に相応しい器となるんだ。後世のお手本になるような燃える展開じゃねぇか?


Was it a bit strange towards the end of your career, being on the bus with 20 year olds and being the old man of the team?
キャリアの最後の方で、ハタチのワカモノと一緒にバスに揺られてどうでしょうしているのを不思議に感じなかった?チームの最長老になった事とか。

It was a bit, especially with the massive shift in the sport in recent years, from the doping years to what are effectively now the clean years. When other guys started retiring, I realised that what we went through made us who we are – we saw shit, we had experiences. Then those guys are gone and you are left with all these young guys. And I don’t fit in to that world in a sense: we don’t share the same experiences; we don’t have the same history.
ちょっとはね。特にドーピングが当たり前だった時代から、実質的に「クリーン」と呼べる近年への目まぐるしい流転の中でそう思う事はある。同期の奴らが次々とリタイアし始めた時に気が付いたんだ。世間様は「オレ達がしてきた事」を通してオレ達を見ているって事に。オレ達はクソにまみれてクソをたくさん経験してきた。オレと一緒にクソにまみれていた同期はどんどん去って行って、気が付いたらクソにまみれたオレは一人、クリーンなワカモノ達の中にぽつんと取り残されていた。オレはどうしても新しい世界に心から馴染む事が出来なかった。ワカモノ達はオレが見たクソを見ていない。違う世界を見ているのさ。
So Ryder [Hesjedal] was the last guy still racing last year. VDV [Christian Vande Velde] had gone, Zabriskie… all of a sudden you feel, maybe I did this sport because I Iike my friends, and without them, it doesn’t feel the same anymore, which is a lovely realisation.
ヘシェダルはオレと共に戦った最後の同期だった。VDVもオレを残していっちまった。ザブリスキーも…。一人ぼっちで残されて突然オレは悟ったんだ。オレはバイクが好きでこのスポーツをやってきたとずっと信じていた。でも実際には、オレは一緒にいた仲間が好きだったからバイクにずっと乗ってこれたんだ。奴らがいなくなった今、オレは前と同じ情熱で自転車に乗れなくなってしまった。オレはバイクじゃなくて腐れ縁が恋しかったのさ。
You go into the sport in a very selfish, driven way and I, especially, didn’t give a shit about making friends in pro cycling. But by the end of it, my best friends in the world are my pro cycling friends. So without them, I didn’t really want to do it anymore. But at least I had Ryder.
プロサイクリストになったのは自己顕示欲が強いコミュ障だったからだ。オレがそんなだったから、プロサイクリストを友達に持つなんて馬鹿馬鹿しいと思っていた。でも、この世界から脚を洗う事になってはじめて気が付いたよ。オレの一番のダチはプロサイクリングで同じ釜の飯を食った仲間だけだったって。ダチが皆いなくなった時、オレにはもうバイクに乗る理由がなかった。最後にはヘシェがいてくれたけどね。



(続く)

オリジナル

※英文は全てオリジナルからの引用


このインタビューを読み非常に興味を引かれて紹介したくなった。
同時に、インタビューという体裁はコンテキストがとても重要だと分かった。
会話文は多くのコンテキストに依存している。それは彼の今までのキャリアであったり、そしてこの場合は彼の著作「レーサー」であったりする。
筆者はデイビッド・ミラーという選手のキャリアについて特に詳しくはない。同時に翻訳という作業にも精通している訳ではない。言葉を日本語に置き換える段階で、オリジナルの英文を併記した方がよりインタビューの空気感を伝えられると判断した。
推測で置き換えた部分もあり、間違いは全て訳者の責任である。

ミラーが語っている時代の変遷、そして今のレースシーンの問題点は、10年ほどレースを見ている人は共感する部分が多いのではないだろうか?

状況は必然により変化をする。昔はノスタルジーで美化される事も分かっている。だけど、訳者がロードレースの中に感じていた牧歌的なムードは国際化とコマーシャリズムの波の中にいつしか消えてしまった。そして尚、大切な事に、目指す商業的成功はツールドフランスを除いては達成されていないどころか悪化しているのが現状である。

フェスティナ事件から続く負の連鎖はクリーン原理主義を生んだ。だが皮肉な事に、人間はクリーンな環境でその人間性を失いつつある。

ドーピングが根絶されねばならないのは、競技の中立性の担保という以上に、選手の人権と生存権の維持が必要だったからだ。

それを両立する為の道は険しく長く、そしてその達成は難しいかもしれない。

この世界は臭いものに蓋をする事で進んできた。

デイビッド・ミラーが語るshitを見つめなければいけない帰路に、今我々は立っていると思う。



2015年10月20日火曜日

[翻訳] フィル・ガイモン・ジャーナル: ツールド・フィルふたたび

Phil Gaimon Journal: Another round of the Tour de Phil

フィル・ガイモン・ジャーナル: ツールド・フィルふたたび

By Phil Gaimon
Published Oct. 16, 2015


ガーミンシャープでの2014年は波乱に満ちたシーズンだった。ヨーロッパで通用するのに十分な強さを備える事は、ガーミンでは単なる及第点(50点)のようなものだった。(まぁ、五分の三ぐらいの及第点かもね)。満足いく成績をゲットするには、集団の曳き方、アタックの処理の仕方、デカいレースでリーダーを勝たせる方法を地道に実地で学んでいく必要があった。近道なんてないよ、身体で覚えるには時間がかかるんだ。シーズンの終わりまでに、僕はなんとかチームでの居場所を確保出来た。そして自分がデカいレースに必要だっって証明する事が出来たんだ。

サイクリングはビジネス、僕らのシノギだ。(少なくともそいつによって生計を立てている奴にとっては)。だから、ガーミンから2015年の契約更新がないと聞いた時は、心でチョコチップクッキーが砕けたような、手の平でクッキーに火を灯すような寂しい感じだったよ。

僕にはどうしようもなかったんだけど、僕は自分を責めた。(どうしたらガーミンに残れたと思う?5つのレースで勝てたかもしれなかったのに。)


で2014年の秋、もう来年はここにいられないと分かっちゃいたけど、僕は一週間後に迫ったツアーオブ北京とジャパンカップの為にタフなトレーニングをした。

ふてくされたりたり斜に構えたりするかわりに(もう契約が切れると分かっているシーズン終盤は難しいんだけど)、僕は意識高い態度で前向きにレースを走った。そしていくつかのレースでは勝利に貢献出来た。

チームメートは、普通は2、3シーズンかけて選手が学ぶ事を僕が僅か1シーズンで吸収したと言ってくれた。(まぁ、シーズンの終わりを祝ってビールを何杯かひかけた後、一人のチームメート(名前は秘密にするけど)が、”オラぁ、東京の空港で喰ったマクドナルドほどうめぇもんは生まれてはじめてだっちゃ!”とアイルランド訛りでからんで来た時の発言なんだけどね)
JVは最後に助言をくれたよ。
「いいこと、ちゃんときっちりトレーニングなさいな。チームに欠員が出来た時、まっさきにあんたを呼び戻せるようにあたいも出来るだけ努力するから♡」(マツコ声)


今年、オプタムは温かく迎えてくれたよ。とても居心地がよかった。ワールドツアーチームからコンチネンタルチームに移る事は、お財布的にはいろいろ厳しいものさ。だから僕はいつもチームメイトに貴族的に吹聴していた。

「ガーミンでは、ミー達はたっぷり1時間のマッサージを受けていましたよ。シリアルはたっぷり5種類から選び放題。」

「失礼、こちらはトイレではお尻を自分で拭くのですか?ガーミンではJ(ピー)監督が息を荒くしながら拭いてくれたものですが。趣味とリベラルアーツの見事な交差点というべきですな。」


でも全般的に、オプタムのスタッフ、マネジメント、装備はプロとして望むべき立派な水準にあった。だから慣れるのに時間はかからなかったよ。まるで我が家でくつろいでいる気分だったし、たくさんの旧友、そして新しい友達とバスに揺られて「どうでしょう」的に楽しめた。なによりもまず、チームは僕に「クッキー号(A COOKIE BIKE)」を用意してくれた。

オプタムでは、僕がヨーロッパで学んだ事をいろいろ試す事が出来た。Volta Algarve(ポルトガルのステージレース)で、僕はアタックの後のアップダウン基調のゴールでタイムを失った。それでもなお、20位でフィニッシュする事が出来た。カリフォルニアでは14位に付ける事が出来た。昔だったら、僕の脚はアップダウンが始まるとすぐに黄金のタレになった。でもヨーロッパ・プロツアーでの激戦の日々が僕の弱点を克服してくれた。そして、僕はトレインのリードアウトもこなせるようになり、オプタムのスプリンターを良いポジションに付ける事も出来るようになった。


ユタが始まった時、僕の準備は万端だった。序盤からアタックをし、先頭で丘を登った。でも、その時、僕は家庭に心配事を抱えていて、それは徐々に僕の心を捉えていった。数週間前に悪性の癌と診断された父さんの容態が次第に悪化していたんだ。


僕はいくつかのレースが終わったらすぐに家にかけつけて父さんの元へ行こうと思っていた。でもステージの間、父さんの事が気になって眠れず、心ここにあらずだった。

コロラドのレースでキエール・レイネンが僕の傍に自転車を寄せて「辛いよね」と慰めてくれた。僕は必死で涙をこらえていた。僕はクリフバーのチョコレート/アーモンド味をむさぼり食った。他の誰かが僕をみたら、まるで僕がクリフバーのクソうまさに感激して泣いていると思わせるように。


結局、僕は補給地点でバイクを降り、家に帰るフライトを予約した。辛い決断だった。でも、チームは思いやりと愛情をもって僕をサポートしてくれた。僕はこの恩を決して忘れない。(例え彼らがいまだにトイレで僕のケツを拭いてくれないとしてもだ。)

幸運な事に、来シーズン、僕は再びプロツアーの世界に戻る事が出来る。JVが再び僕と契約してくれたからだ。サイクリングの世界の底辺-それは泡のように消えていくチームと1年契約の世界-では、君はハンバーガーショップの店員の稼ぎすらも難しい。ただ一発逆転を夢見るだけだ。(※flipping burgers (ハンバーガーをひっくり返す)->転じて低賃金の単純労働を指す)
だけどトップの世界では、チームは君の働きの結果ではなく質を見る。チームは君が8位だろうが14位だろうが大して気にもとめない。トップチームが知りたいのは、君が誰であり、何が出来て、具体的にチームにどう貢献し、それをどうやって行い、チームプレイヤーに徹し、真摯に仕事に向き合う事が出来るか、である。加えてチームバスの中でギャグの一発もかまし、君のチームメイトやスポンサー連とよろしくやっていけるだけの人間か、そういう事に興味があるのだ。

JVは1年放流した僕がでっかい魚になって戻ってくる事を知っている。彼は今年の僕の働きをトレースしていたからね。でもあえて言わせてもらうよ。僕は彼の想像以上になっているってね。

もちろん、だからと言ってあのJVが満足して僕への特別グランツール・シミュレーション・メニューを取り下げるわけはない。愛すべき(いや、若干こっぱずかしいと言うべきか)ツールド・フィルの名を冠して。これは僕を徹底的に追い込むドSのJVらしいメニューだ。毎日5時間を3週間(2日のリカバリーを含めて)走る。高ワット縛りのグランドツアー予習だ。このメニューで僕の脚は来年僕が走る長距離レースに対応出来るようになる。まったくクレイジーなメニューだけど、実際に前回このメニューはすごく効果を発揮した。


第10ステージの終わりまで、僕はこのツールド・フィルを楽しんだ。視界に入るものはなんでも吸収し、ただベッドとバイクとベッドの往復の毎日。少なくとも300ワットをキープ。そしてツールド・フィルの第11ステージの朝、僕の父さんは帰らぬ人となった。バイクに跨がりマリブの渓谷を目指す代わりに、僕は車に乗り空港に向かった。


父さんの葬式に向かう間、僕は自分のバイクのタイヤが両輪ともパンクしている事に気が付いた。2度ある事は3度ある。悪い事は重なるものだ。



結局僕のツールド・フィルはDNFに終わった。僕のオフシーズンは家族の傍にいる事で始まった。再び全てをバイクに捧げる前に。自転車レースが僕に何かを教えてくれたとしたら、それはどうやって辛い時を耐え、そして未来に希望を持つ方法だろう。僕のなんちゃってツールは失敗に終わったけど、結局誰も気にするものはいない。そう、また挑戦すればいいんだ。


アメリカでのチーム運営は再び厳しくなりつつある。スポンサーは手を引き、チームは少なく、そしてライダーの仕事はない。この時期にヨーロッパへ行くのは後ろ髪を引かれる思いだ。状況が良くなる事を祈っている。この国には素晴らしい人々、素晴らしいレース、素晴らしい男女の選手達が頑張っているじゃないか。彼ら彼女らの全てが、プロツアーの長いマッサージとJ(ピー)監督のお尻拭きに値すると信じている。


-フィル・ガイモン


オリジナル