2015年4月20日月曜日

[翻訳]ひとつの時代の終わり -如何にしてウィギンスとSkyは歴史を刻んだのか?



ブラッドリー・ウィギンス卿とTeam Skyはいくつもの山と谷を越えて二人三脚で成長してきた。それは単にこのチームがスター選手に手厚いサポートをしてきたという意味だけではない。その影には野心的なヴィジョンがあったのだ。

ブラッドリー・ウィギンスは以前、デイヴ・ブレイルスフォード(現Team Sky GM)との出会いをジョークのネタにした事があった。
「17年ぐらい前の事だ。ブレイルスフォードはピーター・キーン(BCHF:British Cycling Hall of Fame)のオフィスの廊下にモップをかけていたよ。」

当時、ウィギンスはジュニアの追い抜き世界王者で、ブレイルスフォードはキーンに雇われた1スタッフだった。ブレイルスフォードの肩書きは英国自転車協会パフォーマンス・ディレクター。物流と数字を統括し、バイクを調達し、そして何台追加されたか帳面に記入するのが仕事だった。

2012年秋、ツールとロンドン五輪での成功の後、ウィギンスはお得意の現実歪曲フィールドを使って、彼の未来のボスの当時の地位をジョークまじりにからかってみせた。しかし、如何にその話が誇張に見えたとしても、それは事実だった。

ウィギンスとブレイルスフォードの二人三脚はそれ以来続き、そしてこの週末で終わる。この週末がウィギンスのTeam Skyでの最後のレースになる。彼の選択は引退ではない。シナトラ流のサヨナラをチームに告げて、彼自身の新しいチームを発足させ、2016年のリオ五輪への挑戦を行うのだ。

そして次の月曜日にはブレイルスフォードとウィギンスの関係は終わり、ひとつの時代が終わる事になる。ウィギンスとTeam Skyは違う道を歩み出すだろう。

2004年、ウィギンスが当時打倒不可能と思われていた追い抜き選手、ブラッドリー・マギーをアテネ五輪で破って金メダルを獲得した時、ブレイルスフォードはキーンの地位を引き継いで英国自転車協会の中心的存在になっていた。

それはブレイルスフォード時代の始まりでもあり、同時に1998年に彼によって新しい「世界レベルの選手強化計画」の初代メンバーに選ばれたウィギンスが、初めて自分の才能を知った時でもあった。

続く10年の間、ブレイルスフォードはウィギンスの潜在能力を開花させる為に力を尽くした。それはウィギンスにはじめて心の平静をもたらした。それはFDJ、クレディ・アグリコル、コフィディスを渡り歩き、チームでの汚れ仕事を押しつけられていた彼にとって、初めての安らぎを与えてくれた場所だった。彼はいつでも、マンチェスターを後ろ盾に自分の居場所を見つける事が出来たのだ。

英国代表チームとトラックチームはウィギンスに心の拠り所と糧を与えてくれた。その場所が彼を心の深い沼地から救い、そして心地良い居場所となったのかもしれない。

ウィギンスはまた、英国自転車協会とTeam Skyは彼にとっては、まるで家族のようだったと語る。彼はブレイルスフォードを兄や叔父のように、そしてシェーン・サットンを父のように慕った。それはウィギンスにとって、無条件での愛や献身を人から受けた初めての経験だったのだろう。

2009年末、ブレイルスフォードがTeam Skyを結成した時にウィギンスとの契約を結ばず、1年後に彼をガーミンからほぼ強奪した出来事は、間違いなく、ブレイルスフォードがウィギンスに贈った最良の贈り物だった。
ブレイルスフォードがSkyを結成した時でのウィギンスとの契約は、英国自転車界にとって必要条件であったが、、ウィンギンスが2008年北京オリンピックの為に肉体改造をして2つの金メダルを取り、2009年ツールを4位という成績で終えた時点では、ウィギンスは英国自転車界にとっての必要不可欠、必須の戦力となっていたのだ。

ガーミンでのウィギンスの1年は非常に重要で、大切な助走期間であり、おそらく、当時の彼に必要な環境だったのだろう。ガーミンはウィギンスにとって、英国自転車界意外に出来た初めての「家」であった。ガーミン時代、彼は自分の翼を思う存分にひろげ、まるで大学に進学した高校生のようにはじめて心の底からの自由を謳歌した。

ウィギンスはガーミンで新しい友人を作り、ビールをたらふく飲み、チームバスで彼のお気に入りの曲をガンガンかけた。(2009年のTDFでガーミンのチームバスに乗り合わせたメンバーは、ウィギンスがかけるセックス・ピストルズの’ Pretty Vacant’の爆音で味わった頭痛を一生忘れないと語っている)

ウィギンスが「真の家」であるSkyに戻った最初の年はうまくいかなかった。Skyは実質的に英国自転車界の化身であり、同じ人間、同じ方針で運営されていた。しかしウィギンスにとって、それはもう居心地の良い我が家ではなかった。もしかしたら、前のシーズンオフでのガーミンからの電撃移籍がストレスになっていたのかもしれない。もしかしたら、彼がガーミンで感じたアメリカ的な自由が、Skyにはなかったからかもしれない。(もし彼がSkyのバスでピストルズを爆音でかけようとしたら、誰かが無言でボリュームを落としただろう)

2010年後半、ウィギンスがツールを終え、メルボルンでの世界選手権を棄権した時、ブレイルスフォードは彼をオフィスに呼びつけ説教をした。無条件の愛を与える蜜月は去った。厳しい愛を与える時だったのだ。

ウィギンスはその時、捻くれたニキビ面のティーンエイジャーのように、ブレイルスフォードに反攻したのかもしれない。しかしスネ続けるかわりに、彼は新しいコーチ、ティム・ケリソンとのトレーニングを開始した。年月は彼を成長させ、自転車に対して真摯に向き合わせるようになったのだ。そう、本当に、本当に真摯に。

ウィギンスの2011年ツールはクラッシュによるリタイア。そして2012年、彼は遡ること1988年から熱望していたサイクリストの頂点、マイヨ・ジョーヌを身に纏ったのだ。それはウィギンス個人の栄誉でもあり、そしてキーンが産みだしブレイルスフォードが引き継いだ遠大な計画の勝利だった。

彼らは共存関係であった。そしてウィギンスは、明確なゴールを持ち、そのゴールに向かって100%を出し切る事が出来るチームシステムの中では、そしてそれが自分の為のシステムであれば、最強のアスリートだ。いくつかの例外(2011年のマーク・カヴェンディッシュの世界選手権制覇など)を覗いて、彼が自分以外の誰かをサポートする事に熱心だった事はない。

その道の過程には失敗もあった。2010年ツール、2013年ジロ。しかし、失敗の渦中にあってさえ、英国自転車界のグランドデザインは機能し続け、アテネ、北京オリンピック、ツール2012、2014年の世界選手権の果実を産み落とした。

ウィギンスは今までと同じ方法で日曜日のパリ・ルーベへの準備をしてきた。同じチームと一緒に。彼が再び偉業を達成出来るかどうかは、時間が教えてくれるだろう。

彼の達成した数々の偉業とは別に、彼のキャリアで注目すべき点がある。多くのチームを渡り歩き、そしてガーミンでの1年を心の底から楽しんだ後でさえ、彼はいつも最後には英国自転車界に戻ってきた。それは我々にリバプール(サッカー)のスティーブン・ゲランドを彷彿とさせる。チーム一筋主義だ。ゲランドは引退した後、いつかリバプールに運営の側から加わりたいと語った。ウィギンスが同じ希望を持っていたとしてもなんら不思議ではない。その時、1998年から紡ぎ出された輪廻は1つの完結を迎える事だろう。

しばらくの間、英国自転車界とTeam Skyは彼抜きで運営される。それは今までとは違ったものとなるだろう。






ソース:Cycling Weekly End of an era: How Wiggins and Sky created history

2015年4月1日水曜日

星の歴史

膨大な選手が現れて、そして去って行くロードレースの世界。

初めてジロを見た年に優勝した神童ダミアーノ・クーネゴはもう大ベテランで、プロトンを支配していたランス・アームストロングは自転車世界のエルバ島に流された。
贔屓の選手が現れては消え、その度に我々はその姿を惜しむのだけど、その成績も、顔も、名前すら知らない膨大な選手が、毎年プロトンから去って行く。それはまるでターミナル駅や空港のようだ。

我々は彼らの事を知りたいと願う。
ニュースをチェックし、映像を追い、インタビューを聞き、あるいは実際に会ったりもする。
我々はそういった情報の欠片を集め、彼らの人となりを再現しようとする。

栄光に抱かれたまま去って行く少数の英雄達。石をもって追われる罪人達。愛される罪人、許されぬ英雄。
毎年ありとあらゆるスペクタクルがあり、山のような報道があり、膨大な写真が撮られ、それでも我々はなにひとつ分からない。

選手がプロトンから消える時、ロシアの詩人、エフゲニー・エフトゥシェンコの『人々』という詩を思い浮かべる。
とても影響を受けた獣木野生(伸たまき)さんの漫画、PALMで引用された詩だ。

我々は彼らの事を何一つ知らない。
ただ、消えゆく彼らひとりひとりに『星の歴史』があったと思うだけだ。




つまらぬ人間などこの世にいない
人間の運命は星の歴史に等しいもの
一つ一つの運命が、まったく非凡で独特で、
それに似ている星はない 
たとえだれかが目だたず生きて、
その目だたなさになじんでいても、
人々の中で、おもしろいひとだった
おもしろくないということそのもので

だれにでも自分ひとりの秘密の世界がある
その世界にはこよなくよい瞬間がある
その世界にはこよなく恐ろしい時がある
だが、それはみな、ぼくらには未知のまま

人が死んでゆくなら、
ともに死んでゆくその人の初雪、
はじめての口づけも、はじめてのたたかいも
何もかも人はたずさえていく

たしかに、あとに残る本や橋、
機械や画家のカンバス

たしかに、多くのものは残る運、
だが、何かがやはり消えてゆく
それが非情なたわむれの法則

死ぬのは人間というより、それぞれの世界、
人をぼくらは記憶にとめる、罪ぶかい地上の人を

だが,実際,ぼくらは何を知っていたのか、その人たちのことを?
何をぼくらは知っているのか、兄弟のこと,友のことを?

何を知っているのか、ただひとりの自分の女のことを?
血をわけた自分の父親のことを

ぼくらは何もかも知りながら、何も知らない

人は消える
そのひそかな世界はもどせない

だから、消えるたびにぼくはまた
返せないから泣きさけびたくなる



『人々』エフトゥシェンコ



詩の引用元