2015年2月10日火曜日

[翻訳]THE CURIOUS CASE OF THE GARMIN THREE(不思議なガーミン・スリー) -1

THE CURIOUS CASE OF THE GARMIN THREE
BY NEAL ROGERS


2012年10月10日、合衆国アンチドーピング機関(USADA)が、ランス・アームストロング、ヨハン・ブリュイネール、ミケーレ・フェラーリ、その他多数の元UPポスタルチーム所属選手による広範囲で組織的なドーピング行為の証拠に関する1,000ページに及ぶ調査報告書を公表した時、ファンの反応は様々なものだった。
 アームストロングの前人未踏のツール七連覇を崇拝し、彼の癌撲滅運動に共感してきた支持者達は怒り、そして落胆した。

 ジョージ・ヒンカピーやリーバイ・ライプハイマーなどの歴代全米ロード王者を尊敬してきたアメリカのサイクリングファンもまた、衝撃と落胆、そして悲しみの声を上げた。
 アメリカのサイクリングファンが長らくヨーロッパのプロトンの汚れた伝統と思っていたドーピングは、もやは対岸の火事ではなくなっていた。
 もしもタイラー・ハミルトンやフロイド・ランディスの件が一部の者の出来心でないのなら、アメリカの自転車界がこの10年、深刻なペテンにまみれていた事を否定する事は出来ない。アメリカのファンが同時代のアイドルとして見ていたライダー達は単なるストリートのペテン師ではなく、この20年に渡りプロトンの中でのモラルを欠いたペテンのラスボスだったのだ。アメリカ人サイクリスト達は本場のヨーロッパ大陸に渡り、ドーピングを発見し、そしてドーピングを芸術の域にまで高めた。どのヨーロッパ選手よりもアメリカの選手達はドーピングの恩恵を受けてきた事になる。

 そして、アームストロング、ハミルトン、ランディス、そしてライプハイマーが、USADAの発表の後、二度と控訴する事なく去って行ったのと対照的なのが、3人の現役ガーミンライダー達、クリスチャン・ヴァンデベルデ、デイビッド・ザブリスキー、トム・ダニエルソンの「ガーミン・スリー」だった。彼らは一見したところ、元の鞘に戻ったように見えた。
 彼らにはグランツアーのステージ優勝、一週間のステージレースのタイトル、そしてナショナルチャンピョンシップのキャリアがあった。USADAの報告書が証明しているように、そして彼ら自身が供述し、同時に告白と謝罪を表明したように、彼ら3人が不正行為を何年も繰り返し、そこから利益を得ていた事は明白である。
 しかしこの三人は、他の同罪の仲間達がしなかった事をした。彼らは事が露見する前に、WADAの捜査が開始される前に、プロツアーがバイオロジカル・パスポートを導入する前に、<自らの意思で>、<すすんで>軌道修正したのだ。

 2007年の初夏、チームマネージャーのジョナサン・ヴォーターズ(彼もまたドーピングを告白した元USポスタルのライダーだ)の計らいで、ヴァンデ・ベルデ、ザブリスキー、そしてダニエルソンは、それぞれの所属していたチーム、そして、それぞれの汚れた過去から離れる事に合意した。
 2008年から現在まで、彼らはレースシーンにおいての勝利よりも、別の意味での勝利の為に闘う事に合意している。その勝利とは、自らが正しい事をしていると信じているものだけに訪れる夜の安らかな眠りを得る事。もし、2007年のあの夏がなかったのなら、彼らは元のチームで同じ過ちに手を染める機会もあっただろう。

(続く)

2015年2月9日月曜日

[翻訳] "誇りをもって伝えよう。私は同性愛者であると" -Apple CEO ティム・クックの寄稿文

キャリアを通じて、私はプライバシーを守るようにしてきた。市井の慎ましい家庭に育った私は、人から注目されたいと思った事はない。Appleは既に世界で最も注目を集める会社であり、私は我々が作るプロダクトと、そのプロダクトを通して顧客に提供出来る素晴らしい体験により集中したいと思っている。

しかし同時に、私はマーティン・ルーサー・キング師のこの言葉を強く信じている。

"人生を通じて繰り返し突きつけられる大切な問い。それは、<自分は他の人になにが出来るのだろう?>である。"

私はいくたびもこの問いを自分に投げかけてきた。そして、私のプライバシーへの執着が、私の前に拡がるより大きな道から私を遠ざけていた事に気がついた。これが本日、私が寄稿しようと思った理由だ。

何年もの間、私は自身の性的傾向について周りにオープンにしてきた。多くのAppleの同僚が私が同性愛者である事を知っており、その事で彼らの私への態度が変わる事はなかった。もちろん、創造性と革新性を愛し、人の多様性を受け入れる事が唯一の成功の道だと信じる人々と共に働く事が出来る私は幸運だと言えるだろう。しかし、誰もが幸運な環境で生きているわけではない。

私は自分の性的傾向について否定した事はないが、それを公に発言した事もなかった。これまでは。
ここに誇りを持って宣言しよう。私は同性愛者であると。そして同性愛者であるとう事は、神が私に授けてくれたもっとも素晴らしい贈り物の一つであると。

同性愛者である事で、私はマイノリティーとして生きるという意味を深く理解出来る。そして他のマイノリティーグループの日頃の奮闘を知る事も出来る。それは私の視点を広げ、他者への共感と、より豊かな人生を与えてくれた。それは時には辛く、不快な道でもあったが、同時に逆境と偏見を乗り越えて自分らしく生きる為の自信を与えてくれた。その道を歩く事で、私の面の皮はサイのように厚くなった。これはAppleのCEOとしては実に好都合だ。

世界は私が子供だった時とはまるで変わっている。アメリカ社会は結婚の平等性を寛容する方向に向かい、多くの著名人が勇敢にもカミングアウトし、世間の認識を変え、そしてより寛容な社会を築こうとしている。しかしいまだに大多数の州の州法では、従業員の性的傾向を理由に雇用主が彼らを解雇出来るようになっている。多くの地域では同性愛者という理由だけで家主が立ち退きを迫り、病気のパートナーを訪問する事や、彼らの遺産を相続する事が禁じられている。
数え切れない人々、とりわけ子供達が、彼らの性的傾向を理由に毎日のように怯え、迫害されているのだ。

私は自分自身を活動家と考えた事はない。でも、私は気がついたのだ。私の人生は多くの先人達の犠牲の上に成り立っていると。AppleのCEOが同性愛者だと知る事で、自分を見失っている人々を救えるのではないか?あるいは、孤独を感じている人に安らぎを与えられるのではないか?、人々の平等性に訴えかけられるのではないか? それが出来るのであれば、私自身のプライバシーなどどうという事はない。

私にとって、この宣言は簡単な決断ではなかった。プライバシーは今でも私にとって重要な問題であり、いくばくかでもそれを守りたいという思いはある。Appleでの仕事は私のライフワークであり、私はこれからのほとんどの時間も、自分が到達出来る最高のCEOでいる為に努力を続けるだろう。それがAppleの従業員、Appleの顧客、開発者、株主、そして仕入先の努力に報いる唯一の道だ。社会の進歩とは、人は人種、性別、そしてもちろんその性的傾向によって差別されない、と理解する事でもあるのだ。私はエンジニアであり、叔父であり、自然愛好家であり、健康オタクであり、南部っ子であり、スポーツ狂いであり、その他にも、様々な要素で私は形作られている。どうか皆さんが、天職であり、喜びをもたらしてくれるこの仕事に集中したいという私の切なる希望を尊重して下さる事を願っています。

幸運にも私が指揮を取っているこの企業は、長年にわたって人間の権利と平等性を守る為に尽力してきた。我々は会社の居住地であるカリフォルニア州議会で結婚の平等性を訴えた時と同じように、議会に対して職場での平等性を強く訴えている。そしてアリゾナ州で同性愛者コミュニティーに体する差別的な法案が可決された時にも異議を唱えた。我々はAppleの価値観を訴えるこの闘いを続けるつもりであり、そして、この素晴らしい企業のCEOとして選ばれた者なら誰であれ、人種、性別、性的傾向の平等性を巡る闘いを続けると信じている。そして、私は個人的にも、全ての人々の平等性を死ぬまで訴え続ける。

毎朝私がオフィスに出社するとキング師とケネディ大統領の写真が私を出迎えてくれる。私がこの文章を書く事で、彼らに並ぶ存在になるなんて思ってはいない。彼らの写真を見る事で、小さいながらも自分の方法で他者を助ける事が出来ていると知るだけだ。我々はひとつひとつ煉瓦を積みながら、正義に向けて日のあたる道を共に歩いている。

これが私の煉瓦なのだ。


-ティム・クック




出典: Tim Cook Speaks Up -Bloomberg Business




"Noと言う為には、自分の中により強いYesが必要だ"

ティム・クックの文章を読んだ時に、コーヴィー博士のこの言葉を思い出した。
多くの人はYesを持たずにNoを唱える。煉瓦を手に持たずに。
世界で一つキリのYesもNoも恐らく存在しない。
煉瓦を手に持つものだけが、Noを高らかに宣言出来るのだろう。

ロードレースもまた100年に渡り敷き詰められた歪んだ煉瓦の道だ。

君の煉瓦はなんだろう?