2015年6月8日月曜日

菱形時代劇 雷打 兵修朗の義 第二幕 《包丁侍》

第一幕



「たのもう!」
初夏の京伏見の町屋並木に野太い声が響き渡った。
乾物問屋の軒先の谷空木の下に寝そべっていた三毛猫が、物憂げに声のする方を眺める。
菱形流道場の軒先には、身の丈に近い二尺近くの長剣を携えた小柄な剣士が仁王立ちで立っていた。
鋭い瞳とそげ上がった頬がいかにも屈強の使い手を想わせる。

「どおれえ」
廷内より涼しげな声が応え、和やかな笑みを携えた割烹着姿の男が現れた。

「お待たせして申し訳ござりませぬ。して御用向きの程は?」

「拙者、併斗流 砂岸 (ぺとる さがん)と申す浪々の者。韋駄天の砂岸と申せば聞き及んだ事もあろう?」

「これはこれは、珍古流の...」

「丁古府流(てぃんこふりゅう)じゃ!! その当て字ではゴラクにも掲載できぬわっ!」

「これはこれはとんだ粗相を!丁古府流(てぃんこふりゅう)の砂岸殿。貴殿の武威は常々聞き及んでおります。確かメリケンの加州に武者修行中と聞き及びましたが。」
割烹着姿の男は菩薩のような笑みを浮かべながら、深々と砂岸に一礼をした。

「如何にも。しかしメリケンの鉄砲足軽をいかほど喰らおうとも拙者の村正はいっこうに満足せぬ。彼の地には侍はおらぬからな。腕の疼きを抱えながら帰国してみれば、我が丁古府流の紺太(こんた)殿と貴流の兵修朗殿が二郎坂で凄まじい立ち会いをしたと聞き及んだ。残念ながら勝負は申の下刻の鐘により中断になったそうだが。」

「まさにまさに!」
割烹着姿の男は目を輝かせて手を叩いた。

「流れる水面の如き柔軟な剣の使い手、剣聖紺太殿。そして、獅子の如き豪の剣の使い手、兵修朗殿。このお二人の立ち会いは読売の格好の糧となり今や都中の童はこぞって我こそは紺太、いや我こそは兵修朗とチャンバラに精を出し、大首絵(役者絵)は京中の女子が競って買い求めております。もっともほとんどの女子は紺太殿目当てですが(笑)。丁古府流(てぃんこふりゅう)の門前には、一目紺太殿のお姿を目に焼き付けようと多くの舞子、芸子がひっきりなしにかけつけ、武家の女将達まで紺太殿を娘婿にと娘に妍を競わせておりま....」

「拙者は茶飲み話にここまで来たのではない。」
砂岸は鋭い目を割烹着姿の男に向けて言い放った。

「以前より貴様等菱形流は生ぬるいと思っておった。型も統制もなく、もう昔語りとなった《怪獣》を根絶するという夢物語ばかりを追うておる。拙者は現実を見ぬ主らの目を開いてやろうと言うのだ。」
「さぁ!兵修朗を出せ!紺太殿が付けられなかった決着、そして丁古府流(てぃんこふりゅう)の不名誉をここに濯いでくれるわ。兵修朗を我が韋駄天の剣で下し、この菱形の看板を首としてもらい受ける。」

割烹着の男はまるで初夏の鴨川縁で涼んでいるかの如くの涼しい笑顔で応えた。

「あいにく、兵修朗をはじめ、一門は祇園の方へ出払っております。加州よりご帰国されたばかりでさぞやお疲れでございましょう。まずは手前が冷たい玉露などを...」

刹那、砂岸が居合いでその長刀を抜き払い、その二尺の長剣の切っ先は、割烹着姿の男の鼻先一尺で静止した。

「...点てます故、躙りにて暫くお待ちいただけますでしょうか?」
割烹着姿の男は何事もなかったように笑顔を絶やさず、土間の方へ退がろうとした。

「待て」

砂岸は目を細めて切っ先を返し、長刀で男の行方を遮る。

「拙者はお主の長話を中断させる為に脅そうと、お主の鼻先1尺半に抜刀した。しかし切っ先は1尺で止まった。」
「...逃げぬどころか間合いを半尺詰めた...だと?」

砂岸は舌なめずりをする。

「お主、かなりの使い手だな。抜け。」

「ご冗談を!お侍様。手前、菱形流の単なる炊事担当の下男でございます。お戯れはおよしください。」

「なるほど、貴様、菱形の包丁侍というわけか。」

砂岸は身を翻して袈裟懸けに長刀を振り下ろした。菱形流の看板が真っ二つに割れて道場の床に落ちた。

「武士の命、道場の看板を愚弄されては黙っておれまい。兵修朗が戻るのを待つほど拙者は気が長くない。抜くがいい!腰抜けめ!」

割烹着の男はなおも菩薩のような笑顔を絶やさない。

「梅雨前の京の暑さはまた格別でございます。メリケンからお帰りではさぞや応えましょう。ご気分が優れぬ様子、梅酒など如何でございましょう?いきり立ったお気持ちもきっと収まり...」

「まだ抜かぬかぁぁぁ!」

砂岸は気合いと共に剣をなぎ払う。戸口に干されていた大根、鱈などが一閃でなぎ倒され飛び散った。

「手前、侍の義や誇りにはとんと興味がございませぬ。」
割烹着の男は散乱した乾物類に深い慈愛の眼を向けながら語った。

「しかし私には包丁侍としての誇りがござります。菱形の剣は活人の剣。力を誇示するのではなく、人を活かす剣でございます。日々の膳も是人の元。みだりに粗末に扱えば、その剣は根本から錆び、いつか《怪獣》となって侍を蝕んでいく事でしょう。」
「古の堕天の剣聖、蘭須殿のように...」

「かび臭い世迷い事を!!」

砂岸は跳躍し、男との間合いを瞬時に縮め、大上段から切り下ろした。男の上体を完全に分離しようとする間合いである。

「丁古府流奥義 八相発破!!!」

ギャシシシシィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィン!

その刹那、砂岸の長刀は消え、道場の大黒柱に突き刺さった。

「なにぃぃぃいいっ!!」

割烹着の男は筋引き包丁を構えて静かに立っていた。その頬には一筋の涙が流れていた。

「申し訳ござりませぬ、砂岸様。つい我を忘れて抜いてしまいました...。ずっと剣は封印していたのですが....。」

「...ただの包丁一本で、拙者の打ち込みを...」

呆然として座り込む砂岸ののど元に、木刀が突きつけられた。

「刀に頼ったな、砂岸。」

「兵修朗先生!」

いつの間にか現れた兵修朗が、楊枝を咥えながら鋭い眼光で砂岸ののど元に木刀を突きつけていた。

「一度刀を抜いたらそこは戦場(いくさば)。」
「刀を抜き、そして落とさば、死、あるのみ。」

砂岸は哀惜の涙をハラハラと落とした。

「久利須ちゃ〜ん!帰ったわよぉ!」
甲高い声が道場にこだました。

「久利須????三年前の二郎坂で兵修朗殿の二番刀を強めた久利須 坂出平(くりす ばんでべい)先生ですか?」

「慈詠先生、お帰りなさいませ!」
久利須は朗らかに師範代の慈詠 武威(じえい ぶい)に頭を下げる。

「ダメよ、あんまり若い子にお痛したら♡!」

「面目次第もござりませぬ。」
久利須は赤面して頭を下げる。

砂岸はまだ信じられぬという面持ちで村正を失った自分の手の平を眺めていた。

「見えなかったでしょう?久利須ちゃんの包丁さばき。」
慈英は砂岸に手を貸しながら言った。

「この子はね、以前、自分が一番刀だった時、物陰から手合いを見学していた童を事故で怪我させてしまったの。それを悔いて一番刀の座から去ったのよ。自分はその重責に相応しくない。ギリギリの瀬戸際で厳しい選択を要求されるのが一番刀の役目。久利須は冷酷な軍場(いくさば)の決断をするには純朴(ナイーブ)すぎたのよね。」
「若い時には、堕天の剣聖、蘭須の懐刀だったの。でも、蘭須は久利須の本当の力を恐れた。いつか自分を後ろから刺すんじゃないかって。彼の剣技は剣聖級なの。そこでついた二つ名が「無冠の剣聖」。面白いわよねぇ。この世界、剣技だけでは剣聖になれないんだから。」
「だから、あんたの腕が悪いんじゃないの。相手が悪かったわ。久利須の包丁も名匠、錫華御前が鍛えた銘入りだもの。おまけに食べ物の事で久利須ちゃんを怒らせたんだもの。多分紺太ちゃんでも瞬殺じゃないかしら?」

砂岸は今だに信じられるという面持ちで、大黒柱に突き刺さった村正を眺めていた。

「だから今日の事はもう忘れて、オイシイものでも食べていきなさい!強さってあんたが思っているだけのもんじゃないんだから!久利須ちゃん、今日の夕餉(ゆうげ)は何かしら?」

「鱧(はも)の湯引きが出来ております。梅肉和えで召し上がって頂こうかと。」
久利須は慈愛に満ちた表情で砂岸を見つめた。

「んまっ!素敵じゃない?あれ?兵修朗は?」

「夜風に当たりたいとふたりと出て行かれました。」
門下生の丈 吞風呂敷(じょう どんぶろしき)が頬を赤らめて答えた。

「もうまったく付き合いが悪いったらないわねぇ!鏡はどこよ?」

「兵修朗先生と砂岸殿がお話されているのを熱心に聞いておられましたが、先ほどこれまたふらりと出て行かれました。」

「もうなんなの!うちの子達は大人のジョーシキってもんがないのかしら!(`ヘ´) プンプン。!さっ、飲み明かしましょうよ!砂岸ちゃん!いらっしゃい!」



その頃、祇園のお茶屋にて。


「そして刀を落とした砂岸に俺はビシッと言ってやったのよ!《刀を抜き、そして落とさば、死、あるのみ》ってなっ!」

鏡は両腕に芸子を侍らせて上機嫌だった。

「いや〜、鏡はん、イケちらかしてはるわぁ〜」
「まったく艶らしいお侍さんやわぁ」

「そうであろう、そうであろう!まぁ飲め飲め!ここは俺虞(おれぐ)の旦那の奢りだ!」

「キャー、カガミン、素敵〜」
「カガミンのッ!ちょっと良いとこ見てみたいッ!それ!ミラタイム!ミラタイム!ミラタイム!ミラタイム!ミラタイム!ミラタイム!ミラタイム!ミラタイム!」

酔いが廻った鏡は祇園の路地に繰り出し、黒塗りの籠を見つけると芸子の着物を羽織ったままよじ登って両手を拡げた。

「ガハハハ!俺は無敵だ!」

「あっ、鏡先生、それは!」

その籠は京都所司代の葵の紋付の公用車であった。

取り調べを受けた鏡は禁酒三日か寺子屋での無償奉仕2年を選択する事になり、元録18年の秋まで、寺子屋で若かりし日の武勇伝を語る事になる。

(続きを見たい場合はワッフルワッフル)




CAST (in order to appearance)


有帯 紺太(あるべると こんた) : 勝地涼
雷打 兵修朗(らいだ へいしゅうろう):松山ケンイチ
併斗流 砂岸 (ぺとる さがん):Sting (POLICE当時)
久利須 坂出平(くりす ばんでべい):堺雅人
慈詠 武威(じぇい ぶい):ロビン・ウィリアムズ(《今を生きる》当時)
鏡 英國(かがみ えいこく):堤真一
丈 吞風呂敷(じょう どんぶろしき):ウィーン少年合唱隊からランダムに一名

2015年6月1日月曜日

菱形時代劇 雷打 兵修朗の義


時に元禄十六年。
戦乱の世は遙か昔となり、武士の剣術は甲冑着用が前提の介者剣術から、偶発的な個人戦を前提とする素肌剣術へと変化していた。
しかし、尾張徳川家指南役 柳生利厳の助言により、再び乱世となる時に備え、武士本来の介者剣術を守り、後世に伝える為の介者剣術査問機関を設立する事となった。武家諸法度の枠外の特権的組織、京都所司代直轄の剣術査問機関、《有志愛》(ゆうしあい)の設立である。

同時期、江戸には約700もの剣術流派が存在しており飽和状態であった。しかし既存の素肌剣術に不満を持つもの、また既存の流派からあぶれた食い詰め浪人達が次々と新たな介者剣術流派を設立していった。

この時代に設立された主な介者剣術流派。

丁古府流(てぃんこふりゅう)
菱形流(ひしがたりゅう)
会洲太菜流(あすたなりゅう)

《有志愛》は年に三回の介者剣術会を開催する。春に京都北山で開催される大会は《二郎坂杯》である。夏の《鶴杯》、秋の《武平留太杯》の三大介者剣術会での武功により、剣士の頂点、《剣聖》が決定される。剣聖は武家諸法度の枠外の存在であり、その全ての行為は時の将軍直々に免責されている。
三大介者剣術会での規則は、流派毎の団体戦であり、特定の拠点に接地された葵の御旗を申の下刻(16時)まで確保した剣士に勝者の称号が与えられる。


主な介者剣士

雷打 兵修朗(らいだ へいしゅうろう)

菱形流筆頭剣士。
元録十二年の二郎坂杯優勝剣士。
六尺半に及ぶ居丈夫の野武士。菱形流の極意は《残命剣》であり、どのような苛烈な戦場でも生き残り、翌日に命を繋げる事を第一の目的としている。兵修朗の刀は三尺三寸の《龍殺し》と呼ばれる長剣であり、厚みも三重に打ち重ねた大鉈並のものである。これは連斬でも刃こぼれせず、また繰り出される長槍を払う盾の役割を担う為である。従来の素肌戦術武闘では邪道とされた大剣である。その容貌と重さ故に兵修朗以外に扱える剣士はいない。


有帯 紺太(あるべると こんた)

丁古府流筆頭剣士であり、剣聖の称号を持つ剣豪。
小柄な南蛮系の容姿の剣士であり、その出生を知るものはいない。江戸の読売界隈では「シャム(現在のタイ王国)の王子」と噂されている。
長刀を使わず、わずか2尺の脇差しの二刀流である。脇差しには鍔(刀止め)もつけていない。これは高速で相手の懐に踏み込み、反撃の機会を与えず二刀の居合いで瞬殺する為である。今まで二太刀を必要とした相手はおらず、その為、介者剣術であっても鎧は着用せず、薄い帷子のみを纏っている。防御を考慮しないその剣術姿勢から「駆逐の剣聖」と呼ばれる。
剣聖技《鹿鳴斬》の使い手。






元録十六年 京都北山 二郎坂。



「囲め!囲め!」

会洲太菜流(あすたなりゅう)の剣士達は孤立した紺太の周りを二重に囲んだ。

「残念だったな、紺太殿。配下を囮にして一騎で御旗まで駆けようとした試みはさすが剣聖。しかし多勢には立ち渡れまい。剣聖の玉体に手荒な真似はしたくない。素直に投降なされよ。」

「其れがし、至って臆病故、殺生はなるべくしたくありません。」
紺太はまるで愛宕山を芸子と散策しているかのような穏やかな笑顔で答えた。

「出来ればこのまま貴殿に投降し、後は月見酒と洒落込みたいのはやまやまなのですが...」

その時、一陣の黒い風が舞い込み、会洲太菜流(あすたなりゅう)の剣士達をなぎ倒した。

「あいにく、この御仁が隠居をさせてくれないようです。」
紺太は微笑みながら割って入った黒い影に目をやった。

「貴様は!菱形の兵修朗!」
「貴様、紺太の犬に成り下がったか!恥を知れ!」

紺太と背中合わせに構えた兵修朗は、大刀「龍殺し」を抜いて見栄を切った。

「野良犬の刃の錆になりたくなくば、この場から引き下がるがよい。」

紺太と兵修朗が同時に抜刀すると、会洲太菜流の剣士達の刀が砕け散った。

「えぇい!一時引け!亜留!隘路から御旗へ急げ!」

会洲太菜流の剣士達は筆頭剣士を送り出し、四散していった。

「紺太先生!」
「御怪我は?」

遅れていた丁古府流(てぃんこふりゅう)の残存剣士達が駆けつけてきた。

「兵修朗殿!紺太先生への助太刀、感謝いたしまする!」

「助太刀だぁ?」
兵修朗は不機嫌そうに咥えていた楊枝を吐き捨てた。

「菱形の流儀は泥臭い現実主義でな。メリケンの言葉で言えばぷらくてぃかーるって奴よ。楽に生き延びる為にはまず一番強い奴と組む。それで邪魔者を掃除した後、王である紺太の首級をあげるって算段なだけだ。」


「さすが!兵修朗さんはそうでなくっちゃ!」
紺太は朗らかに笑った。

「でも現実主義者の兵修朗さんはこの場をどうします? 私の手のものが駆けつけて、彼我戦力差は三対一ですよ?」

「兵修朗先生ーーーーーーーーー!遅参して申し訳ありませぬぅ〜!」
峠から息せき切って小柄な剣士が駆けてきた。

「いや、蛇尾出(だびで)、悪くない頃合いだ。芝居小屋狂いのお前らしいぞ。」

兵修朗は不適に笑って紺太の方へ振り返った。

「さて、これで彼我戦力差は二対三だな。如何に鹿鳴の輪聖と呼ばれるお前といえども、ちったぁ手こずるだろう?」

「ふふふ...、ほんに兵修朗さんは面白いお方だ。ご自分の剣技によほど自信がおありなのか、それとも..」

紺太の笑みは薄く拡がり、ゆっくりと消えていった。

「剣聖であるこの私を愚弄してらっしゃるのか....」

紺太は灌木の表面に咲いた躑躅(ツツジ)をゆっくりと摘み、兵修朗の方へ投げた。躑躅の深紅の花びらはハラハラと乱れながら兵修朗と紺太の間に舞い散りゆく。

「破ッ!!」

刹那、紺太は居合いの態勢から一瞬で兵重郎との間合いを詰める。

「剣聖技《鹿鳴斬》!!!」

居合い一太刀で五太刀の打ち込みを行う剣聖技。脇差し二刀流の紺太のみが会得している。
神速で間合いを詰める姿勢が谷を駆け登る鹿のようでもあり、また斬られた剣士の断末魔の悲鳴が鹿の鳴き声のようでもある事から命名された。

「ぐぁっ!!!」

兵修朗の鎧は砕け、全身か鮮血が噴き出す。

「決まった!」
「しぶとい兵修朗め!紺太先生の一太刀でまだ立っているとは!」
「先生、トドメを!」

「これはこれは....」
紺太は涼しげな表情で兵修朗の様子を観察した。

「どうやら我が丁古府流の精鋭の中で、兵修朗さんの試みに気づいているのは私だけのようですね....」

「...紺太先生?」

その刹那、紺太の羽織止めがハラリと地面に落ち、同時に帷子に亀裂が入り、地面に落ちた。

「先生!それは!」


「《鹿鳴斬》を受ける寸前、兵修朗さんは私の切っ先を払おうと抜刀して失敗し五太刀を受けた。しかしそれは失敗したのではなかった...」

「彼の長剣《龍殺し》は、まるで削り節のように、私の帷子を正確に削ったのだ。」

「そんな!偶然ではありませんか先生?わざわざ先生の《鹿鳴斬》を受けるなんて!」
丁古府流の剣士は信じられぬという面持ちで紺太に尋ねた。

「《死中に活あり》ですか?兵修朗さん。おそらく一太刀目で重傷を追い、帷子の切れ目に私が気づかぬままトドメをさそうと踏み込んだ刹那に匕首(あいくち)で心の臓を正確に貫く。まこと、喰えない恐ろしい御仁だ。」

兵修朗は鮮血にまみれた顔を壮絶にゆがめて笑った。

「其所元(そこもと)はまったく可愛げのない奴だな。剣が立つ上に頭の回転も速い。芸子に嫌われるタイプって奴だ。」


「そういう言い方、嫌いじゃないですよ、兵修朗さん。」
紺太は楽しくて仕方ないように破顔した。
「旗本崩れの酔いどれ、鏡先生を思い出しますな!」

紺太はゆっくりと草履と足袋を脱いで素足になった。

「《鹿鳴斬》を耐え抜いたのはあなたが初めてだ。素晴らしい!こんな気持ちは久しぶりだ!もっと楽しませて頂きたいが、残念ながら次の一太刀で幕引きにいたしましょう。」

兵修朗も草履を脱いで正眼に構える。

「其所元(そこもと)に教えてやろう、紺太。」

「其所元(そこもと)の太刀が業物なら、拙者の太刀は錆びた大鉈。普通に考えれば勝負は見えているだろう。」

「だが、菱形流の極意は活人剣。お前を一撃で倒せぬならば、十、二十と重ねて切り込むまで。切っ先が届かぬならば、おぬしの骨ごと砕くまでの事。」

「天才の其所元(そこもと)の道理は、菱形の無理でこじ開けてみせようぞ!」



(続きが読みたい場合はワッフルワッフル)

※ジロ・デ・イタリア第18ステージ。時代劇レポート。