膨大な選手が現れて、そして去って行くロードレースの世界。
初めてジロを見た年に優勝した神童ダミアーノ・クーネゴはもう大ベテランで、プロトンを支配していたランス・アームストロングは自転車世界のエルバ島に流された。
贔屓の選手が現れては消え、その度に我々はその姿を惜しむのだけど、その成績も、顔も、名前すら知らない膨大な選手が、毎年プロトンから去って行く。それはまるでターミナル駅や空港のようだ。
我々は彼らの事を知りたいと願う。
ニュースをチェックし、映像を追い、インタビューを聞き、あるいは実際に会ったりもする。
我々はそういった情報の欠片を集め、彼らの人となりを再現しようとする。
栄光に抱かれたまま去って行く少数の英雄達。石をもって追われる罪人達。愛される罪人、許されぬ英雄。
毎年ありとあらゆるスペクタクルがあり、山のような報道があり、膨大な写真が撮られ、それでも我々はなにひとつ分からない。
選手がプロトンから消える時、ロシアの詩人、エフゲニー・エフトゥシェンコの『人々』という詩を思い浮かべる。
とても影響を受けた獣木野生(伸たまき)さんの漫画、PALMで引用された詩だ。
我々は彼らの事を何一つ知らない。
ただ、消えゆく彼らひとりひとりに『星の歴史』があったと思うだけだ。
つまらぬ人間などこの世にいない
人間の運命は星の歴史に等しいもの
一つ一つの運命が、まったく非凡で独特で、
それに似ている星はない
たとえだれかが目だたず生きて、
その目だたなさになじんでいても、
人々の中で、おもしろいひとだった
おもしろくないということそのもので
だれにでも自分ひとりの秘密の世界がある
その世界にはこよなくよい瞬間がある
その世界にはこよなく恐ろしい時がある
だが、それはみな、ぼくらには未知のまま
人が死んでゆくなら、
ともに死んでゆくその人の初雪、
はじめての口づけも、はじめてのたたかいも
何もかも人はたずさえていく
たしかに、あとに残る本や橋、
機械や画家のカンバス
たしかに、多くのものは残る運、
だが、何かがやはり消えてゆく
それが非情なたわむれの法則
死ぬのは人間というより、それぞれの世界、
人をぼくらは記憶にとめる、罪ぶかい地上の人を
だが,実際,ぼくらは何を知っていたのか、その人たちのことを?
何をぼくらは知っているのか、兄弟のこと,友のことを?
何を知っているのか、ただひとりの自分の女のことを?
血をわけた自分の父親のことを
ぼくらは何もかも知りながら、何も知らない
人は消える
そのひそかな世界はもどせない
だから、消えるたびにぼくはまた
返せないから泣きさけびたくなる
『人々』エフトゥシェンコ
詩の引用元