親愛なるヴィンツェンツォ
大佐である。
私は今、シャンゼリゼのエトワール凱旋門の上で明けていくパリの街を見下ろしている。
君も知っていると思うが、凱旋門(Arc de triomphe)というのはシャルル・ドゴール広場にあるエトワールだけの名前ではない。
文字通り戦勝記念のモニュメントなので、パリのそこかしこに凱旋門は存在する。
人は記録したがる生き物だ。
門だの絵画だの彫刻だの石碑だの。様々な形にして「今」を記録していく。
ツールなどその最たるものだろう。
百年に渡り積み上げられた先人の記録が、ツールという格を作っている。
動物は記録しない。動物にあるものは「今、この瞬間」だけだ。
私は時折思うのだ、ヴィンツェンツォ。
過去を記録する行為は、果たして人間にとっての長所なのだろうか?と。
過去を変える事は出来ぬ。未来もまた予想出来ぬ。
過ぎ去った過去を悔やみ、まだ見ぬ未来に怯え、繰り言だけで貴重な「今」は過ぎていく。
君は先の2年間、強力なライバル達の過去や可能性に怯え、不安に駆られながら、ツールという3週間の「今」を踊る事が出来なかった。
ライバルの動向に怯え、ライバルの失速をただ待つだけだった。
今年、君は「今」というダンスを初めて踊っていたのだ。
過ぎ去った過去に眼をやらず、可能性の未来に怯えず、今自分が成せる最大限の踊りを夢中で踊った。
君は幸運を待たなかった。君が自らの意思でマイヨジョーヌに袖を通したのだ。
太古の昔、辺境の地にとある神殿があった。
その神殿の支柱には、ある武具が紐で固く結びつけられていた。
その結び目をほどいたものこそ、アジア全体を統べる王になる、という言い伝えがあった。
ある日、神殿に1人の若者が訪れた。
若者に向かって神官達はその伝説をうやうやしく説明した。
すると、若者はいきなり剣を振りかざし、武具を封印していた紐を一刀両断した。
神官達は叫んだ。
「この不埒ものっ!」
「手でほどく知恵こそがアジアの王の証。そなたには災いが降りかかるであろう!」
若者は答えた。
「伝説の力などいらぬ。私は自らの力で王になるのだ。」
その若者は、後にアジアばかりかユーラシア大陸の全てを征服した。
後のマケドニアのアレクサンドロス3世。アレキサンダー大王その人だ。
分かるかい?ヴィンツェンツォ。
未来は今を踊る事でしか作られない。そして、今を踊る事が出来るのは他ならぬ君だけだ。データや伝説ではなく、君が今を踊るのだ。
そろそろ気が付いているだろう。
今まで君に毎朝手紙を書いていたのは、カザフスタンのアレクサンドル・ヴィノクロフ大佐その人ではない。
君の心の中のアレクサンドル・ヴィノクロフ大佐だ。
君はツールへの不安に駆られた心の中で、強く、厳しく、強力なメンター(指導者)を必要としていた。
そして「大佐」というパーソナリティーを、君の心の中に創造したのだ。
凱旋門を見た君は、それに気が付く事だろう。
そして、私を必要とする事も、もう二度とあるまい。
君に心からの祝福と万雷の拍手をもってさようならと言おう。
君の今は、この瞬間に始まるのだ。
愛を込めて。
アスタナ東方第一等殲滅輪闘集団
アレクサンドル・ヴィノクロフ大佐
2014/07/27日 5:27 シャンゼリゼの朝日を眺めながら。