2014年8月4日月曜日

第一章: <掴んだ藁-8>: TAKE WHAT YOU CAN GET : Pro Cycling on $10 a Day: From Fat Kid to Euro Pro

生活かかるとオイラは強くなる


 春休みの間、僕はチームメイトとカリフォルニアで二つのレースに出た。カテ1に昇格する為のポイント稼ぎの為だ。二つのレースの間、僕らはレッドウッド国立公園でハイキングをした。そのハイキングがチームが打ち解ける為のオリエンテーションだったのか覚えていないけど、僕がやたらとおならをしていたのだけは覚えている。僕の後ろを歩いていたアレックス・ボイドがしきりと「この不可思議な異臭の発生源」をつきとめようとクンクンしていた時、僕は笑いをこらえるのに必死だった。今だから言えるよアレック、その異臭の発生源は僕だ。

 僕は春学期を終える為にフロリダに戻り、1ヶ月以上経った後、チームがクッターウン(東ペンシルバニアにあるアーミッシュの町)に借りた夏遠征用の家で再びチームと合流した。クッターウンへ向かう途中、僕はテネシーで開催される4日間のステージレースのために寄り道をした。賞金はナイスで参加者は少ないという理想的なレースだ。いつものような安宿の予約が全然出来なかったので、僕はもっとお高いホテルに3泊せざるおえなかった。(その当時の僕にとって、一泊99ドルは痛い金額だった。いや失敬。今でも十分痛いす!)実を言うと、ホテルをチェックアウト出来るだけのお金が財布にないまま、僕はチェックインしたんだ(勇者だろ?)勝たない限りホテル代は払えない。そのプレッシャーがもしかしたら、最終ステージで僕に強烈なアタックをさせて総合11位から2位へジャンプアップさせたのかもしれない。僕は賞金の850ドルをチームメイトの助け無しに獲得した。つまり賞金は独り占め。なかなか悪くない週末だったよ。

 ハッピーな気分でレース会場を後にした僕を待ち受けていたのは、クッターウンでのチームハウスだった。二階建て、エアコンなし、寝ていると噛んでくる虫付きのホワイト・オーク通りの物件だった。家賃はチーム持ちで、まぁ、どの角度からこの家を見ても僕らの成績からすると分不相応なぐらいだったけど、それてもモヒート(ラム酒)とホラ貝のフリッターを楽しんだバハマでの酒池肉林からは程遠い現実だった。家は狭く、ジャージ男がギュウギュウで、通りを隔てた家に住んでいた年金暮らしのご夫婦は、カーテン越しに奇異の目で家の中を覗き込んでいた。老夫婦はきっと、何人のタイツ男がこの狭苦しい家にギュウギュウに詰め込まれているのだろう?と不思議に思った事だろう。何人かの選手はダンに泣きつき、レースの結果が思わしくないのをエア・マットレスや劣悪な住環境のせいにして文句を言っていた。牢獄の鉄格子を描いた僕らの窓越しの写真をダンに見せながら。確かに、ベッドやよりましな住環境は、僕らの成績をアップさせたかもしれない。でも、僕はそういう環境面の充実が一番大切な事じゃないと思っている。そして、ダンは限られた予算の中でよくチームを切り盛りしていた。

 チームと一緒に寝起きするのは良い事だった。ほとんどのチームメートは別々のトレーニングメニューをこなしていた。でも、いつも一緒に走り、お互いに誠実に、そして刺激しあって生活していた。あるチームメイトが5時間のライドに出かけると言って家を出て、4時間で帰ってきた場合、僕らは彼が家に入ってこられないようにドアをロックした。

 火曜日と金曜日の夜には、僕らは近くのトレックスレアタウンにあるヴェロドームでトラックレースをした。夜に4本行うトラックレースは、とても良い戦術練習になった。僕は考えられる全ての作戦をなんでも試し、実行し、そしてたいていは失敗した。たくさん失敗をした事で、逃げの間に上手く立ち回るのがいかに大変か学んだ。いつアタックすべきか?、どこで我慢すべきか?


 7月、僕らは毎朝テレビの前に集まり、ツール・ド・フランスを見ていた。僕らはフロイド・ランディスが大逃げを決めて8分もの大差をひっくり返し、マイヨジョーヌを奪取したレースに喝采を送った。その興奮をモチベーションにして、僕らは午後のトレーニング・ライドをハードにこなした。その夏一番のきついトレーニングだった。数週間後、ペンシルバニアの5日間のステージレースの途中で、誰かがツールのドーピング・テストでポジティブになったという噂が広まった。レースの折り返し点で、レディオ・ツールからその事実は伝えられた。フロイド・ランディスがポジティブとなり、マイヨ・ジョーヌを剥奪されたと。噂は野火のようにプロトンに広まり、数マイルにわたってプロトンはペースを落とした。だって、誰もがレースっていう気分じゃなかったんだ。もっと年上の選手達はそれほど驚かなかったろう。彼らはそんな時代に生きていたし、ヨーロッパでのレース経験のある選手もいた。


 だけど僕ら若い世代にとっては、僕らに勇気を与えてくれたヒーローが天から墜ちた瞬間だったんだ。




(続く)





Phil Gaimon