ポケットに5ドルだけ(RACE WITH A $5 BILL IN YOUR POCKET)
U23全米選手権でのいくつかのDNF(途中棄権)と期待外れの成績の後、シーズンの残りのレースはたった2つだけになった。南カリフォルニアのグリーンヴィルで開催された全米プロ選手権でのパリ・マウンテンを僕は先頭で越える事が出来た。だけどそれを誇らしく思う気持ちにはなれない。ふもとの鋭角コーナーで落車してしまったからね。
ユニヴェスト・グランプリになっても僕はパッとしなかった。蒸し暑いペンシルバニア・サウダートンの朝、僕らはスタートラインに立ち、号砲が鳴って、僕がペダルを踏み出した時、リア・ディレーラーがホイールの方向へ曲がり、ディレーラーは折れ、スポークは裂けた。僕はアクチュアル・スタートの場所にすら行く事が出来なかった。僕のレースはそこで終わった。僕はその朝、縁石にぼんやり座りながら、チームメイトの苦闘を屋外モニタで見つめていた。ランチを食べるお金もなく、ただエナジージェルを咥えているしかなかった。
道は遙か(KEEP AN EYE ON THE BIG PICTURE)
こうして僕のプロとしての1年目は終了し、僕は翌年の事を考えた。僕はプロ1年目でたいした成績を残せなかった。なので、US代表チームをスポンサードする事になったVMGは、僕に声をかけてはくれなかった。僕は全てのプロチームにメールを送ったが、返事をくれたのはジョージアを拠点にした<いらちのジョー(jittery Joe’s)>だけだった。その文面にはたった一言、「もっとたくさんのNRCレースに出ろ」というものだった。NRCというのは国内レースカレンダー(National Racing Calendar)というプロの選手権レースの事だ。所属するプロチームを探している僕にとっては「おとといきやがれ(FuXX You)」と言われたも同じ事だった。
その時、僕は自分にプロとしての十分な資質があると信じていた。全てのチームが僕を無視する事にすごくイラついていた。今思い出してみると、なんか滑稽な話だ。僕の元チームメイト達も同じような哀れな境遇だった。彼らはジュニアカテゴリーでは輝けるスターだった。だけどその時から2年経った今、レースシーンに残っている奴は1人もいない。英才の彼らが自転車をやめ、凡人の僕がまだ乗っているというのは不思議な事だけど、もしかすると、彼らにない何かを僕は持っているのかもしれない。あるいは、僕をこの世界に引き留めている<何か>を彼らは見切って、この世界から去って行ったのかもしれない。実際のところ、エリート・プロの世界に脱皮する為に必要だったのは、才能や競技への取り組みではなかった。人生の厳しい時期に一番必要だったのは<前向きな気持ち(willingness)>だけだったんだ。
僕はそれまで本当の意味でのプロではなかった。扉は開いたのに、僕はその扉の中に入る事が出来なかった。今、僕はその扉から尻を蹴られて追われ、僕は決断を迫られた。
「お前はこのままアマチュアとして会費を払ってレースを続けたいのかい?プロになって、他の皆よりも稼ぐ事が出来なくてもプロになる価値があると思うかい?クラッシュしても、家になかなか帰る事が出来なくても、雨のなか長い時間乗り続けても・・・・・・・・
<それでもお前はプロになる価値はあると思うかい?>」
ロードレースのおかげで、僕の毎日は、他の人のウィークエンドのようだ。毎日好きな事を毎日していられる。トレーニングライドの途中、フロリダのマイカノピィにあるピール・カントリー・ストアのベンチで冷たいたっぷりのアイスティーを楽しむ事も出来る。茹でたてのピーナツを友達のデイビッド・ガッテンプランと分け合う事も出来る。それでも僕は誇りをもって言える。<僕は今働いているんだ>って。
僕はこの競技の素晴らしさを分かりはじめたばかりだった。だけどこの先にはもっと光輝くものがあると分かっていた。見知らぬ田舎道をくぐり抜ける道を見つける事はひとつの芸術だ。例えその道を通るのが世界で僕一人だとしても。この競技に出会ってはじめて、僕の心の奥底の、本能としての<競争心>は完全に満たされた。そして僕の心と体はまだ未完成だった。契約の最終週に、僕は自分の部屋にローラー台を持ち込み、自転車のハンドルに即席のテーブルをこしらえて、トレーニングをしながら勉強出来るようにした。僕はそれまで、とてもたくさんの場所を訪れ、ユニークで心に残る経験をした。ロードレースがあったから、バハマの珊瑚礁やカリフォルニアのレッドウッド公園を体験する事が出来たんだ。もし僕が尻尾を巻いて普通の学生フィルに戻ったら、僕のこれからの人生でどれだけの素晴らしい場所や出会いを逃す事だろう?
<<もちろん!自転車はぼくの人生を賭けるだけの価値があるんだ!>>
僕はしばらくアマチュアとしてしか走れないかもしれない。だけど僕は絶対に再びプロに戻ると決心した。そしてより厳しいレベルのレースで自分を鍛えるんだ。風の噂でヨーロッパでのドーピングの現状を聞いていた。だけど僕はそんなものの助けなしに自分の夢を達成しなければ意味がないと分かっていた。もしかしたら、僕はドーパー達のように檜舞台のレースで勝利する事は出来ないかもしれない。だけど、空に向かって自信を持って手を上げられる勝利でなければ、その勝利になんの価値があるだろう?僕は自分を信じてくれる人達をがっかりさせる事だけはしたくない。その時の僕は、プロの世界では実際にどれほどのドーピング禍がはびこっていて、まもなく巨大なスキャンダルの波が、この競技を存亡の危機に陥れるという事をまだ知らなかった。
僕が自分の目標を決めた時、僕はどれだけ多くの才能溢れる人達がロードレースの世界で身を立てようと藻搔き、そして消えていったかを知っていた。さらに、彼らは幼い事からの英才教育を受けていたのに、僕はただのデブの高校生からの周回遅れの出発だ。いったいどうやって、それだけの人達が成し遂げられなかった夢を僕は実現出来るだろう?答えはシンプル。周りの誰よりも努力するんだ。僕は彼らよりもっと集中し、自分の全てを捧げ、そして誰よりも自分に厳しくしなければならない。計画はなお漠然として道は遙かに遠い。でも僕は出来ると信じていた。
今振り替えると、その当時の僕の頬を引っぱたきたくなるけどね。
(第一章:TAKE WHAT YOU CAN GET 終わり)